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幕権回復を期す徳川慶喜の強硬姿勢で公武合体運動に挫折した松平春嶽は、政治総裁職を投出し福井に戻ると横井小楠の「挙藩上洛計画」を採用し乾坤一擲の巻返しに出た。松平春嶽・福井藩主松平茂昭が藩兵4千人と農兵を率いて上洛し薩摩藩・熊本藩(横井小楠の出身藩)・尾張藩・加賀藩などに呼掛け京都朝廷のもとに公武合体政権を樹立するという壮大な計画で、福井藩では閣議決定され由利公正(横井小楠の愛弟子)らが他藩周旋に先発したが、出張から戻った守旧派の中根雪江が親藩の節義を説くと藩論が傾き将軍徳川家茂の江戸帰還の話も出て決定は覆された。禁門の変を制した徳川慶喜は「一会桑政権」を樹立して更に専横を強め松平春嶽と福井藩は表舞台から脱落、「士道忘却事件」(刺客に襲われ友人を置去りにして逃走)で追詰められた横井小楠は熊本藩に強制送還され明治維新まで隠棲を余儀無くされた。