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長州藩が馬関戦争で西洋列強に惨敗した後、藩主毛利敬親より馬関の防御を一任された高杉晋作は窮余の策として庶民から兵員を募って奇兵隊を創設、洋式軍備で武装させた。下関事件で孤軍奮闘した久坂玄瑞率いる光明寺党から赤根武人・滝弥太郎・山縣有朋・河上弥市・入江九一・吉田稔麿ら多数の幹部が加わった。奇兵隊の創設後、農民・町人・漁師・猟師・神官・力士・僧侶など武士以外の様々な身分からなる義勇兵部隊が数多く結成され同年末には早くも総員750人を突破、奇兵隊を含め諸隊または遊撃隊と総称した。高杉晋作は奇兵隊を大組士(正規藩兵)の下に置くつもりであったが、諸隊は戦意旺盛なうえに大村益次郎の洋式軍備導入で強化され実戦で正規藩兵を圧倒、次第に独立の勢いを示し高杉のクーデターを援けることとなる。高杉晋作は奇兵隊創設者であることを生涯の誇りとし、自分の墓碑銘を「奇兵隊開闢総督」とするよう依頼した。