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幕府が朝廷に攘夷決行を約束した1863年5月10日、久坂玄瑞が木戸孝允・高杉晋作の自重論を抑え長州藩は攘夷決行を断行、馬関海峡を封鎖し米仏蘭商船に無警告で砲撃を加えたが、米仏軍艦の艦砲射撃により猛烈な報復を受け長州藩の海軍と砲台は壊滅的打撃を蒙った。が、外国船退去後も長州藩は抵抗を続け、有利な条件で講和交渉を纏めた高杉晋作が兵員不足を補うため庶民から徴兵して奇兵隊など諸隊を創設し、下関の砲台を修復し対岸小倉藩領の一部を占拠して新たな砲台を築き馬関海峡封鎖を続行、翌年第一次長州征討に乗じた四国連合艦隊が来襲し馬関戦争が起った。一連の下関事件では、久坂玄瑞が大和行幸に参加すべく赤根武人・滝弥太郎・山縣有朋・河上弥市・入江九一・吉田稔麿ら松下村塾系志士を糾合し結成した光明寺党が獅子奮迅の活躍をみせた。