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武市半平太の土佐藩と久坂玄瑞・木戸孝允の長州藩が連携して朝廷に工作し攘夷督促と親兵提供を命ずる勅使を得て江戸の幕府へ派遣した。正使三条実美・副使姉小路公知を奉じ、土佐藩主山内豊範が警護役として兵数百人を率いて江戸に入り、幕府に破約攘夷の早期実行と京都警護の御親兵提供を迫った。破約攘夷は誤魔化したが幕閣は丁重に対応し、、御親兵提供については実施を約束した。これを受けて京都守護職に任じられた会津藩主松平容保が藩兵と新撰組を擁して京都に駐留し志士狩りを断行、尊攘派は自ら宿敵を呼込む最も皮肉な結果となった。