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薩摩藩の島津久光が勅使大原重徳を奉じて江戸へ入った直後、対抗心を燃やす長州藩は中津川で重臣会議を開き周布政之助・木戸孝允(謀主は久坂玄瑞)のリードで長井雅楽の航海遠略策を放棄し破約攘夷(幕府非難)の線で公武周旋する方針を決定した。幕府主導の公武合体運動から明確な朝主幕従へ、「開国して攘夷」から「攘夷して開国」への大転換であった。久坂玄瑞らは、朝廷に工作して将軍上洛と攘夷決行を迫る勅旨を獲得し、世子毛利定広を奉じて江戸へ下り幕府を督責した。久坂玄瑞の盟友である武市半平太も土佐藩兵を率いて随行した。長井は帰国を命じられた。周布政之助・木戸孝允・久坂玄瑞らは、直ちに朝廷に工作して将軍上洛と攘夷決行を迫る勅旨を獲得し、世子毛利定広を奉じて江戸へ下り幕府を督責した。久坂の盟友である武市半平太も土佐藩兵を率いて随行した。