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老中首座堀田正睦らの朝廷工作により最上位の関白九条尚忠は幕府に安政五ヶ国条約の条約勅許を与えるべく動いたが、反九条派の岩倉具視・大原重徳らの扇動により公家88人が御所に押しかけ反対(廷臣八十八卿列参事件)、最終的に病的な外国人嫌いの孝明天皇の意思により条約勅許は見送られた。楽観視していた幕閣にとっては寝耳に水の出来事で堀田正睦は失脚、幕府攻撃の大義名分を得た尊攘派志士は勢い付いた。