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名古屋市の貧しい家庭に育った鳥山明は絵を描くことが唯一の楽しみで、手塚治虫の『鉄腕アトム』やディズニーの『101匹わんちゃん大行進』の模写で腕を磨き(絵画教室に通ったとも)一宮市の起工業高等学校デザイン科へ進学、マン研に所属したがイラストレーター志望で漫画は描かなかったという。高校を卒業した鳥山明は広告系デザイン会社に就職したが2年半で挫折、ニート生活のなか小遣いに不自由し1977年『週刊少年マガジン』の新人賞賞金50万円を目当てに未経験のストーリー漫画を描き始め、鳥嶋和彦(「Dr.マシリト」のモデル)の引きで集英社専属となり読切作品『ワンダー・アイランド』でデビューした。僅か3年で漫画を会得した鳥山明は1980年『週刊少年ジャンプ』に『Dr.スランプ』で連載デビュー、圧倒的画力と「キャラ立ち」で忽ち読者を魅了し翌年テレビアニメ化され「アラレちゃんブーム」を巻起したが、1984年「ネタ切れ」を理由に突如連載を打切った。しかしジャンプは看板作家の休眠を許さず僅か3ヵ月後に鳥山明は『ドラゴンボール』連載開始、当初は二番煎じと思われたが1986年のテレビアニメ化でブレイクし、1997年の放送終了まで平均視聴率20%の大記録を樹立した。締切に追われるなか鳥山明は「ドラクエ」のキャラクターデザインを手掛けゲームブームに一役買っている。1995年『ドラゴンボール』は連載満了を迎え40歳の鳥山明は悠々自適の趣味生活に入ったが、単行本は全世界で売れ続け累計3億5千万部を突破(世界記録更新中)、アニメ市場は3千億円に膨らんだ。不評だが実写版ハリウッド映画『DRAGONBALL EVOLUTION』も上映され、鳥山明の個人資産は3百億円に迫り日本の漫画・アニメ史上断トツの大富豪となった。鳥山明の軽いノリは尊敬する手塚治虫の「漫画道」とは対照的で創作期間も遥かに短いが、イラスト並の画質と同一作品内に続々と秀逸キャラを産出す手法は漫画・アニメ・ゲームの価値観を一変させ欧米人にも認められた。『ONE PIECE』の尾田栄一郎や『NARUTO -ナルト-』の岸本斉史は鳥山明を尊敬し追随することで大成功を収めている。