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家業から「ダイエー」を興した中内功は妻萬亀子と長女綾を除く親族全員を雇用した。祖父の中内栄は阪大医学部卒の神戸の眼科医で、ダイエーは「大栄」に因む。父の中内秀雄は神戸で「サカエ薬局」を経営、現金仕入れと安売りのノウハウはダイエーの礎となり創業時会長に就いている。3人の弟(博・守・力)はみなサカエ薬局とダイエーの経営に携わったが、長兄中内功のワンマン経営により亀裂が生じ、特にダイエーの共同創業者である中内力との葛藤は「骨肉の争い」といわれた。中内功が46歳のとき父の中内秀雄は「功は55歳で社長を力へ譲る」仲裁案をまとめたが、功にその気はなく結局「終身社長」を宣言した。ダイエーの東西分割案も出たが、兄弟喧嘩を嫌気した中内力は1969年にダイエーを去り、中内功は住友銀行の堀田庄三から融資を引出し末弟の持株を買取った。骨肉の争いに懲りた中内功は家族を溺愛し、長男の中内潤をダイエー副社長・次男の中内正を「福岡ダイエーホークス」オーナーに据え、血の承継を守るべく有力幹部を次々放逐、「V革」の恩人河島博達まで追出し「中内一族以外誰もいない」惨状となった。中内功は「V革」成ったダイエーの経営権を強奪し大暴走へ奔るが、これも中内潤への経営承継が目的だったといわれる。中内功は田園調布の大豪邸近くに潤・正・綾の豪邸を並べ一帯は「ダイエーの天領」といわれた。かくしてダイエーは経営破綻し粘る中内功は2001年に完全追放されたが、時既に遅く2004年ダイエーは産業再生機構送り、中内一族は全財産を失い路頭に迷った。翌年中内功は憤死、差押えられた大豪邸に亡骸を戻せず菩提寺で密葬に付された。ダイエーグループは経営再建の名の下に丸紅(AP)主導で切売りされ、優良子会社のローソンは三菱商事が買収、ホークス球団は孫正義のソフトバンクに身売りした。本業のスーパーを買収したイオンは経営再建に注力したが業績の足を引張られ、2018年までに全店でダイエーの看板を降す決断を下した。なお、中内潤は唯一残された「学校法人中内学園」の理事長に収まり、中内正は渡邊恒雄(中内功の親友)の読売ジャイアンツに拾われた。