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孫正義は、在日朝鮮人安本三憲(朝鮮名は孫三憲)の四人息子の次男で、佐賀県鳥栖市の朝鮮人スラムに生れた。安本三憲は典型的な「在日魂」の豪傑で、密造酒と家内養豚を振出しにサラ金とパチンコ店経営で財を成し「九州のパチンコ王」と呼ばれたという。安本三憲はバブル投資の大失敗で家産を失ったが、偉大な息子の世話で悠々自適の隠居生活を送る。幼少期の孫正義は人豚同居の劣悪な衛生状態と身内が本気で殴り合うバイオレンスな環境に育ち、祖母が引く大八車に残飯(豚の餌)と一緒に乗せられたり、人前で豚に母乳を呑ませる祖母を恥じたりしたが、父の事業成功に伴い家庭は裕福となり高等教育を施された。孫正義は九州屈指の新学校久留米大学附設高等学校へ進んだが、自殺を考えるほど在日差別に悩まされ愛読書『竜馬がゆく』の脱藩に倣い単身渡米、名門カリフォルニア大学バークレー校で米国式経営術とIT企業家人脈を得て「ソフトバンク」を起業し日本一の大富豪へ上り詰めた(1990年韓国籍から日本に帰化)。孫正義は経営破綻したダイエーから球団を買収し「福岡ソフトバンクホークス」のオーナーとなったが、動機は野球好きな父安本三憲への恩返しともいわれる。孫正義は同じバークレー校に通う大野優美と出会い、東京の大病院で院長を務める岳父を口説き学生結婚を果した。孫正義は二女を生したが跡取り息子に恵まれず、ソフトバンクの世襲を否定し「社内士官学校」で後継者養成に励んでいるという。末弟の孫泰蔵は、孫正義が中退した久留米大学附設高等学校から東大経済学部へ進み、在学中から兄に従いYahoo!Japanの立上げに参加し1998年ソフトバンク傘下にネットオークション運営会社「オンセール」を起業した。ネットオークション事業は振るわなかったが、2002年孫泰蔵は「ガンホー・オンライン・エンターテイメント」へ社名変更し『ラグナロク』でオンラインゲームへ事業転換、僅か3年で大証ヘラクレスに株式上場を果し時価総額は一時1兆円を超えた。