日本史年表へ戻る
小泉純一郎は、「劇場型政治」で史上断トツの内閣支持率を獲得し1980日の長期政権を樹立、子ブッシュ米政権に追従し「聖域無き構造改革」と宿願の「郵政民営化」を強行したが、公約の景気回復・行財政改革は進まず国体破壊・国債残高急増・格差社会を招く無残な結果に終わった。小泉純一郎は「刺青大臣」小泉又次郎の孫で父の急死で横須賀の地盤を継ぎ、福田赳夫の「清和会」に所属し1972年30歳で衆議院議員初当選、1988年厚生相で初入閣したが、山崎拓・加藤紘一と反経世会連合「YKK」を組み無謀な郵政民営化主張で変人扱いされた。2001年森喜朗(清和会)内閣の後継選で、「自民党をぶっ壊す」「構造改革なくして景気回復なし」と連呼する小泉純一郎が経世会の橋本龍太郎に逆転勝利(小泉旋風)、田中眞紀子人気も手伝い内閣支持率は80%を超えた。小泉純一郎首相は、亀井静香・平沼赳夫ら「抵抗勢力」を排斥し、米国流「新自由主義」の竹中平蔵とオリックスの宮内義彦を旗振り役に「小泉構造改革」を強行したが、郵政民営化・日本道路公団分割民営化・健康保険本人3割負担・個人情報保護法・製造業派遣解禁・法科大学院設置・商法改定(会社法)等々、いずれも実態は日本のアメリカ化・市場開放策に過ぎず、「景気回復」は空手形で大混乱と膨大な財政ロスをもたらした。外交面でも小泉純一郎首相は従米路線に邁進、「9.11テロ」発生と同時に対テロ戦争参加を表明し「テロ対策特別措置法」制定、2度の訪朝と「日朝平壌宣言」で使命に掲げた「拉致問題解決」を前進させたが、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼ぶブッシュ大統領に叱られ従順な「ポチ」となった。2003年ブッシュ米政権が「イラク戦争」の暴挙に及ぶと小泉純一郎首相は即座に自衛隊派遣を決定し、「日米同盟 未来のための変革と再編」で日米同盟を全世界の「予防戦争」へ拡大、ブッシュ邸招待を「ご褒美の卒業旅行」に2006年任期満了で勇退し北朝鮮外交で浮上した安倍晋三(岸信介の孫)に政権を譲った。2009年小泉純一郎は隠居し次男の小泉進次郎が衆議院議席と人気を承継、翌年ゆうちょ銀行の米国債大量購入が発覚し郵政民営化の真相が垣間見えた。