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田中角栄の祟りか、自民党最大派閥を簒奪し首相に就いた竹下登は1987年「リクルート事件」で退陣し、1992年共謀者の金丸信も「東京佐川急便事件」で失脚し翌年小沢一郎の造反で細川護熙内閣が成立、「55年体制」の終焉を見届けた田中角栄は4ヵ月後に亡くなった。が、祖父の近衛文麿にソックリな細川護熙は1年足らずで政権を投出し、非自民連立の羽田孜内閣も64日で瓦解、1994年自民党(河野洋平総裁)は社会党と連立を組んで村山富市内閣を成立させ政権与党に返咲いた。革新政党の存在意義を放棄し「村山談話」(侵略戦争を謝罪)で迷走を極めた村山富市内閣は2年保たず、1996年竹下登から「経世会」(旧田中派)を継いだ橋本龍太郎が自民党政権を復活させた。橋本龍太郎は、湾岸戦争時の海部俊樹内閣の蔵相で小沢一郎幹事長と共に「積算根拠もないままに」130億ドルもの金をアメリカに貢いだ従米派、首相に就任すると「日米同盟」強化を掲げ「防衛協力」を粛々実行した。さらにバブル崩壊後の経済再建を期待された橋本龍太郎政権は「不良債権処理」「グローバリゼーション」の名の下に米国主導の「金融ビッグバン」「規制緩和」を推進したが、「ハゲタカ・ファンド」など外資の跳梁跋扈を招いただけで日本経済の傷口を広げた。しかし自意識の強い橋本龍太郎は国内マスコミの前ではアメリカと対等を演じ、「天安門事件」後の中国に西側閣僚で初めて訪問(当時蔵相)、政権に就くと日米首脳会談でクリントン大統領に普天間飛行場返還を要求し「何回か、日本政府がもっている米国債を大幅に売りたいとの誘惑にかられたことがある」と爆弾発言、尤もな主張ながら驚いた米国株式市場は一時大幅安となった。「新党ブーム」は終わり人気者の橋本龍太郎は長期政権を期待されたが、1998年共和党の揺さぶりでイラク攻撃へ傾いたクリントン大統領に長野冬季五輪中の武力行使自粛を求めて怒りを買い、間もなく行われた参議院選挙で自民党が惨敗し引責辞任に追込まれた。後継首相には経世会盟友の小渕恵三が就任、2001年森喜朗内閣の後継選で橋本龍太郎の復帰が有力視されたが小泉純一郎の「劇場型政治」に敗北した。