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柳井正は、早稲田大学政経学部からジャスコに入社したが1年もたず 、1972年山口県宇部市に戻り家業の紳士服店「小郡商事」に就業、青山・アオキとの競争を避けてカジュアル衣料へ転換し、香港視察を機にGUP式SPA(製造小売業)のチェーン展開を志した。1984年社長を継いだ柳井正は直ちに「ユニクロ」を開業し中国地方へ多店舗展開、香港現法を通じて中国に開発輸入体制を構築し、1991年「ファーストリテイリング」へ改称し1994年株式上場を果した。1998年発売の「フリース」が3年間で2600万枚の驚異的売上を記録し、アパレル業界に価格破壊を起した柳井正は東京へ本拠を移し全国展開に邁進、ユニクロは忽ち500店舗を突破しロンドン・上海を手始めに海外市場へ乗出した。ベーシック衣料の少品種生産・大量販売と国産並の品質管理で低価格と高収益の両立に成功した柳井正だが、市場飽和と「ユニバレ」で急減速、新業態開発やブランド買収も振るわず大幅減益に陥った。2002年柳井正は会長兼CEOへ退いたが、2005年「安定成長」を説く新社長の玉塚元一(のちローソン社長)を解任し社長復帰、経営陣の若返りと積極路線回帰を断行した。柳井正は商業施設「ミーナ」や「ユニクロ・グローバル旗艦店」で店舗の大型化を推進、海外事業も漸く黒字化し「ヒートテック」「ブラトップ」で女性市場開拓も進み成長軌道を回復した。デフレ不況もファーストリテイリングには追風となり2013年株式時価総額が流通企業最大の4兆円に到達、柳井正は親友の孫正義に続き世界的大富豪にランクインした。2015年時価総額は6兆円に迫り、ユニクロは国内844店・海外16カ国864店(中国414・韓国163・欧米78)へ拡大し海外販売比率は4割を突破、「セオリー」「GU」も一本立ちした。デフレ悪玉論や「ブラック企業」批判に晒されつつ、柳井正は「国際流通業トップ10入り」を掲げて世界展開を加速しM&Aに虎視眈々、国内では「超大型店」を軸に1千店舗体制を目指し疾走を続ける。柳井正は「世襲はしない」と公言してきたが、2013年社長引退の公約を撤回し2人の息子を執行役員に就けている。