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宮崎駿は中島飛行機の下請け軍需工場を経営する裕福な家庭の出身、青年期に左翼化し批判したが引退作『風立ちぬ』で亡父を追悼している。身体の弱い宮崎駿は漫画少年となり、1963年学習院大学を卒業し東映動画のアニメーターに就職、ソ連アニメ『雪の女王』に感動し漫画家の夢を絶った。宮崎駿は労組書記長を務めた東映動画を辞め制作スタジオを転々、テレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』で台頭し『未来少年コナン』で初監督、『ルパン三世 カリオストロの城』で初の映画監督を務め1984年上映の『風の谷のナウシカ』が出世作となった。宮崎駿は超人的な仕事量・企画構成力・人心掌握術で手塚治虫流「リミテッドアニメ」の壁を破り、エコロジーな世界観と萌えキャラで独特なジャンルを拓いた。翌年宮崎駿は徳間書店が設立した「スタジオジブリ」(初代)に参加し『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『魔女の宅急便』で「宮崎アニメ」を確立、『紅の豚』で評価を落し内紛でジブリを退いたが1997年『もののけ姫』がブレイクし国内興行収入記録を塗替えた。56歳で日本映画の頂点に立った宮崎駿は引退を表明したが翌年撤回、スタジオジブリに復帰し2001年上映の『千と千尋の神隠し』で興行収入記録を更新しベルリン国際映画祭金熊賞・アカデミー賞長編アニメ賞を受賞した。同年設立の「三鷹の森ジブリ美術館」は新名所となり、宮崎駿監督は『ハウルの動く城』『崖の上のポニョ』とヒットを連発、パリで個展「MIYAZAKI-MOEBIUS」も開催した。2005年宮崎駿はスタジオジブリ(2代目)の独立を果し2013年『風立ちぬ』を最後に長編映画引退を発表、翌年アカデミー名誉賞を受賞し世界的巨匠と認められた(黒澤明に続く日本人2番目)。スタジオジブリでは宮崎駿の長男宮崎吾朗(『ゲド戦記』『コクリコ坂から』『山賊のむすめローニャ』)と米林宏昌(『借りぐらしのアリエッティ』『思い出のマーニー』)が後継レースを演じるが、メガヒット連発の系譜を継ぐのは容易ではない。宮崎駿の援助で先輩の高畑勲が監督した『柳川堀割物語』『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』は悉く不振に終わっている。