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1909年ホンダと同じ浜松の地にトヨタと同じ動力織機で創業した「スズキ」は、戦後株式上場を経て小型バイクで自動車製造へ転換、1962年発売の「スズキ・フロンテ」で躍進し1973年から2006年まで軽自動車販売日本一の座を占めた。鈴木修は、中央大学法学部から地銀へ進み1958年鈴木俊三社長の長女(創業者の孫娘)の婿養子となり「鈴木自動車工業」入社、1978年経営難のなか4代目社長に就任すると、自動車排ガス規制に伴うリストラと軽自動車への集中戦略を断行、翌年発売の「スズキアルト」で成長軌道を回復した。鈴木修はGMとの資本提携に踏切り「いい師匠」を得て技術力不足を挽回、主戦場の欧米を避けて大手不在の後進国へ乗出し1983年インド政府と合弁で「マルチ・ウドヨグ社」を設立した。現場主義者の鈴木修は「浜松の中小企業のおやじ」を貫きつつプラザ合意後の円高を受け海外展開を加速、社名をスズキに改め、パキスタン・ハンガリー・エジプト・スペイン・中国・ベトナムへ生産拠点を拡大した。インド市場の過半を制したスズキは世界で賞賛されたが、「強かな」インド政府は干渉を強め2002年鈴木修は苦渋の決断で合弁会社株式を買取り、「マルチ・スズキ・インディア」は堅調で2015年も連結経常利益の4割を占めるが予断を許さない状況が続く。一方、GMとは良好な関係が続きスズキの受入れ出資比率は20%まで上昇したが、2006年GMの経営危機で鈴木修は自社株式の買取りを余儀無くされ、同じGM傘下のスバル・いすゞ自動車はトヨタ系列に再編された。同年スズキは軽自動車日本一の座をダイハツ工業に奪われ、さらにリーマン・ショックで業績急落、2008年会長の鈴木修は8年ぶりに社長に復帰した。スズキはインド以外の新興国市場で失敗を続け現地法人の破産で米国市場撤退、GMに代るべきVWとの包括提携は解消・紛争沙汰となり、日本国内でも軽自動車増税など苦境が続くが、鈴木修は小型車のOEM供給に活路を見出し日産自動車や三菱自動車工業との取引を拡大した。業績回復を果した鈴木修は2015年長男の鈴木俊宏に社長を譲ったが、会長兼CEOに君臨しワンマン経営を続けている。