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心不全により急死した大平正芳首相の後を受けて、大平派幹部だった鈴木善幸が首相に就いた。大学を出ずに岩手県漁協職員・社会主義運動から政界に入ったためそもそも政官界での受けが悪く、日米関係悪化を招いたとしてマスコミから「暗愚の宰相」と批判されたが、平和主義・アジア重視を貫いた自主路線の政治家であった。「日米同盟」に基づくアメリカからの防衛費増額要請を決然と断り、「第一に、わが国の努力は、平和的手段のものにかぎられるということです。わが国として各国に対する軍事的な協力は行いません。この方針はアジア諸国も理解しています。第二に、わが国のなしうる最大の貢献は、経済社会開発と民生安定に通ずる各国の国づくりに対する協力です。第三に、国づくりと共に、この地域の平和と安定のための政治的役割をはたしていくことが求められていると思います」「アメリカとの関係を悪化させることはできない。しかし日本はなんといってもアジアの国で、アジアの国々と共に進んでいかなければならない。これからアメリカ、あるいはヨーロッパ、あるいはソ連圏、中国圏というように、三極、四極に分かれた国際時代に入ると思うのです。その場合、日本はアジアにしっかりと根をおろし、アジアの尊敬と支援と理解、協力を得た上に立つ日本という形で、国際社会のなかで日本の主張、立場というものを明らかにしていかばければ駄目だ」と語りその実現を目指した。しかし、米大統領が「人権外交」と軍縮を推進したカーターからタカ派のレーガンに交代するなか、日米共同声明で発した「日米同盟」という言葉が問題となり、言葉尻をとらえた新聞が「鈴木首相は『日米同盟に軍事的意味はない』といった」と煽り立てたことで「外交音痴」のイメージが作られ、伊東正義外相の辞任騒動を発端に事態収束のため首相を辞任するに至った。