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長嶋茂雄は千葉県佐倉市の農家出身、佐倉第一高校で甲子園出場は無かったが打撃センスを買われて立教大学野球部へ進み、当時大人気の六大学野球のスターとなった。1958年鳴物入りで巨人に入団した長嶋茂雄は、開幕戦から3番サードで大活躍し本塁打王・打点王・新人王を獲得、翌年の「天覧試合」でサヨナラ本塁打を放ち「この試合からプロ野球の隆盛は始まった」。長嶋茂雄は華麗な守備と勝負強い打撃に闘志溢れるプレイでファンを魅了し、1期後輩の王貞治との「ON砲」で常勝巨人軍を牽引し1973年9年連続日本一を達成(V9)、翌年「我が巨人軍は永久に不滅です!」の名演説で現役生活に幕を引いた。長嶋茂雄の生涯成績は打率305(首位打者6回)・本塁打444(本塁打王2回)・打点1522(打点王5回)・シーズンMVP5回…王貞治の超絶記録には遠く及ばないが4年連続三冠阻止でライバル関係を印象付け、敬遠球本塁打やバットを持たず打席に立つといった奇行、明るいキャラと独特の「長嶋語」で「記録よりも記憶に残る選手」と称され「実力の王」を上回る人気を獲得した。プロ野球人気を担う長嶋茂雄は現役引退と同時に38歳で巨人監督に就任したが「名選手は名監督に非ず」を地で行き成績は低迷、川上哲治(前監督)派の攻撃に晒され1980年藤田元司に監督の座を奪われた。長嶋茂雄は長い雌伏期を過したが、1990年川上哲治と一応和解し後援者の渡邉恒雄が読売新聞社長に就任、藤田元司・王貞治監督の地味な巨人に飽きたファンから長嶋待望論が湧起こり1992年56歳で監督に返咲いた。V9再現の夢を担う長嶋茂雄は金に物を言わせた大型補強で落合博満・清原和博・工藤公康ら大物選手を次々獲得し(長男の長嶋一茂まで)、松井秀喜・上原浩治ら生え抜きも台頭、1994年初めて日本一監督となり2000年の日本シリーズではホークス王貞治監督との「ON対決」に勝利したが、投資額ほどに成績は振るわなかった。2001年長嶋茂雄は原辰徳に巨人監督を譲り「終身名誉監督」兼球団専務へ勇退、アテネ五輪代表監督在任中に脳梗塞で倒れたが一命を取留め、2013年愛弟子の松井秀喜と国民栄誉賞を同時受賞した。