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滝崎武光は「世界初連発」の企画開発力と値引禁止の猛烈ノルマ営業で超優良企業「キーエンス」を築いた究極の営業マンである。滝崎武光の前半生は謎で家族も来歴も不詳、尼崎工業高校を卒業し2度の起業と倒産を経て1974年29歳で「リード電機」を創業した。売れる商材を求める滝崎武光はFA化の潮流に商機を見出し、高給で技術者を集め各種FAセンサーを軸に計測機器・情報機器・顕微鏡など高付加価値製品群の自社開発に成功、1986年キーエンスへ改称し翌年株式上場を果した。円高不況・バブル崩壊下もFA産業が活況を呈すなか、キーエンスは周辺機器ながらNC制御装置のファナックと双璧を為す中核企業へ躍進、原動力は「世界初」に拘る新製品開発とそれをフックにした顧客開拓、粗利益率ノルマと分単位の行動監視で研ぎ澄まされた営業部隊にあった。また滝崎武光は「ファブレス経営」を掲げ生産外注で研究開発に特化、設備負担の軽いキーエンスは真の「無借金経営」を実現し、値引禁止の徹底で50%に迫る驚異的な営業利益率を確保した。キーエンスは巨大な株式時価総額と平均年収1400万円超の高給で名を馳せ、滝崎武光は大富豪の上位にランクされたが、リスク要因も内包し証券市場は動向を注視している。まず超高給だが過酷な従業員管理には「ブラック企業」批判が付き纏い「疲弊と崩壊の兆しがみてとれる」との指摘もあり、また製造子会社があるのに「ファブレス」を誇張し極端に情報開示を嫌う滝崎武光の企業倫理も難点とされる。キーエンスは44ヵ国に200拠点を展開する国際企業となり海外販売比率は5割に達したが、滝崎武光は国内中心の生産体制を堅持、主要顧客の自動車産業が更なる海外移転を進めるなか今後も高い利益率を確保できる保証はない。2000年滝崎武光は会長へ退き後継社長の佐々木道夫・山本晃則は円高不況に喘いだが、円安転換と自動車産業の好調でキーエンスは復活を遂げ2015年株価は上場来高値を更新、70歳の滝崎武光は代表権の無い名誉会長へ退いた。世襲を嫌う滝崎武光は親族を一切表に出さず、キーエンスでは「役員・社員と三親等以内」の入社を拒む徹底ぶりである。