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永守重信は、HDD用モーターで75%の世界シェアを握る「日本電産」の創業者にして、不振工場の買収と再建で急成長を遂げた「M&Aの達人」、日産の鮎川義介を彷彿させる。マスコミの露出は多い永守重信だが、マネーゲームに手を出さない真当な実業家であり、同類の孫正義・柳井正に敬われ「ほら吹き3兄弟」を自称する。京都の貧家に生れた永守重信は苦学して洛陽工業高校・職業訓練大学校を卒業し、音響機器のティアックに6年勤めた後、1973年京都市に「日本電産」を設立し精密小型モーターの製造を開始した。積極経営の永守重信は海外進出と工場増設に邁進し、一時経営危機に陥るもHDDやOA機器の旺盛な需要に支えられ事業拡大、1984年米国トリン社の買収でM&Aを始動し1988年株式上場を果した。日本電産躍進の原動力は「時間を金で買う」M&Aによる生産体制拡大・新分野開拓であったが、肝腎な買収後の経営で永守重信は鬼才を発揮した。永守重信は「優秀な技術を持つが経営不振の企業」に買収対象を絞り、筆頭株主兼経営者として現場に乗込む方式で多くを経営再建へ導き優秀な系列企業群と連結業績を膨らませた。永守重信の経営再建術は欧米流の単純なリストラとは異なり「倍働け」「一番以外はビリ」「すぐやる・必ずやる・出来るまでやる」という母親仕込みの精神注入が核心だが、思想文化の異なる世界各地で現に成功を収めており精神論では片付けられない凄みを帯びる。リーマンショックと超円高で日本電産は破綻に瀕したが永守重信は解雇以外で乗切り、円安転換で業績は急回復し2015年株価は上場来高値を更新した。2015年末現在、日本電産はHDDやOA機器の小型モーターで世界一の座を磐石にし海外販売比率は8割に到達、M&A実績は日本24社・海外15社を数えるが、71歳の永守重信は社長に健在で「休みたいなら辞めれば良い」との至言が労働組合の反発を招きつつ、売上高2兆円を目指し自動車や家電製品向け中大型モーターの拡充や中国展開に奔走している。世襲制を否定する永守重信は元シャープ社長の片山幹雄を後継候補に迎えたが、息子が2人あり動向が注目される。