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稲葉清右衛門は、東大工学部から富士通に入社し東工大で工学博士号を取得、MITが開発したNC(数値制御装置)の商品化に成功し、1972年計算制御部を分社化し「富士通ファナック」を設立した。FA化の流れに乗ったファナックは忽ち業績を伸ばし、専務から2代目社長へ昇格した稲葉清右衛門はシーメンスやGEと提携して全世界へ販路を拡げ産業用ロボットにも進出、1976年株式上場を果した。工作機械制御の基幹であるサーボモーターとCNCを一体販売し、NCプログラミングでGコードのデファクトを押えたことが強みとなった。稲葉清右衛門は1972年から1997年まで富士通の非常勤役員を兼任しつつ「ファナック」へ社名を改め富士通の持株比率を徐々に減らし独裁権を確立、バブル期の財テクに手を出さず、逆に東京から富士山麓へ本拠を移し技術開発に専念した。工作機械用NCで世界シェア5割・多関節ロボットで2割を押えたファナックは海外売上高8割の国際企業となったが、技術流出と組織力分散を懸念する稲葉清右衛門は国内生産にこだわり、生産体制の集約とFA化で圧倒的な競争力と利益率を達成、主要輸出先の中韓取引では円建て決済を呑ませ為替リスクも排除した。円高不況で日本の製造業が低迷するなか、FA産業は不況知らずでファナックも右肩上りの成長を継続、さらに稲葉清右衛門の国内生産主義は日本の財政と雇用に多大な貢献を果した。稲葉清右衛門は合理的な辣腕経営者だが奇人の一面もあり、商品・建物・社有車から作業着・箸袋まで全ファナックを「会社カラー」の黄色で染め、また極度のIR嫌いで日本語版HPを半年間閉鎖する騒動も起している。功成った稲葉清右衛門は権勢欲と名誉欲の権化となりファナックを私物化、HPの社史を皇室や海外VIPの来訪と叙勲歴で埋尽し、社長経験者の野澤量一郎・小山成昭を追払い長男の稲葉善治を社長に擁立した。相談役名誉会長を名乗りつつ絶対君主を続ける稲葉清右衛門は、2013年長男以外の重役を降格させる「懲罰人事」を断行し35歳の稲葉清典(善治の長男)を取締役に就け世襲路線を顕示したが、重役陣の謀反が起りファナック全役職を電撃解任された。