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稲盛和夫は、世界的電子部品企業「京セラ」の創業者で「KDDI」創設も主導したM&A経営の泰斗だが、正体不明の「アメーバ経営」を唱え松下幸之助ばりの「盛和塾」「京都賞」に言論・財界・慈善活動で自己宣伝に励むも胡散臭さを拭えない。鹿児島の印刷屋に生れた稲盛和夫は鹿児島県立大学から京都の町工場「松風工業」に就職、3年で退職し1959年「京都セラミック」を設立した。京都には村田製作所など良き手本もあり、稲盛和夫は旺盛な「三種の神器」需要を追風に電子部品事業を拡大し1971年株式上場、「京セラ」へ改称し欧米へ販路を拡げた。電気通信事業自由化を商機と見た稲盛和夫は1985年第二電電(DDI)を設立、1997年に会長を退きDDIはKDD・IDOと合併しKDDIとなったが、筆頭株主の京セラは上場で巨利を博した。日本の米国化を予期した稲盛和夫はM&A戦略を始動、タイトー買収では業績を上げて株式上場しスクエニへの転売で大儲けした。携帯電話の勃興期を満喫する京セラにバブル崩壊は無縁で、稲盛和夫は小泉純一郎の米国化政策に乗じM&Aを加速、三田工業・東芝ケミカル・キンセキ・三洋電機・ソニーのTFT液晶ディスプレイ事業など携帯関連事業を次々傘下に加え、太陽光発電や中国市場へも手を拡げた。財界活動にも熱心な稲盛和夫は小沢一郎の民主党を支援、2010年JALが経営破綻すると鳩山由紀夫首相の肝煎りで会長に就任し(内閣特別顧問兼任)業績V字回復で2年後に再上場を果した。稲盛和夫の経営塾とノウハウ本は繁盛したが、公的資金注入の条件として労働組合に経営実態と乖離した賃金と年金の適正化を呑ませたに過ぎず、さらに京セラが再上場前のJAL株式を大量取得し膨大な評価益を稼いだインサイダー取引が露見した(不起訴)。稲盛和夫は1986年に社長を退き2009年取締役も退任、京セラでは6代も社長が代ったが同社HPには名前も載らず登場人物は創業者のみ、2015年末現在83歳の稲盛和夫は京セラに君臨し続けている。売名行為を嫌い一般には無名の村田昭、社員の貢献を綴る村田製作所のHPとは対照的で、稲盛和夫の京セラは「一将功なって万骨枯る」の観がある。