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安藤百福は日本統治下の台湾出身で、繊維問屋の祖父母に育てられ22歳で繊維商社を興し大坂へ移住し帰化したというが、前半生は不詳である。安藤百福は大阪大空襲で「日東商会」を失ったが、戦後「第三国人」らしく闇商売に手を染めたと思われ、製塩業も興し脱税容疑でGHQに捕まるほど稼いだらしい。が、安藤百福は脱混乱期に乗遅れ1957年理事長を務める信用組合が倒産し(名義貸しと弁明)48歳で無一文に転落した。再起を期す安藤百福は黎明期の即席麺に注目し、テンプラから「瞬間油熱乾燥法」を着想し1958年「チキンラーメン」発売、翌年テレビCMを開始し資本金の10倍を超す年間放映料を注込み「日清食品」と高槻工場を立上げた。即席麺開発は1953年頃始まり「ベビースターラーメン」が先行していたが、チキンラーメンの大ヒットに触発され数百社が乱立するブームが沸起り「チャルメラ」の明星食品・「サッポロ一番」のサンヨー食品・「マルちゃん」の東洋水産らも相次いで参入した。利に聡い安藤百福は逸早く即席麺の製法特許を押さえ粗製乱造品を駆逐、1963年株式上場で資本力を増し更なる広告攻勢で過当競争を制圧した。競争の焦点がカップ麺へ移ると、日清食品は中身が傷まない「宙吊り法」で商品化に成功し1971年「カップヌードル」発売、翌年初の「あさま山荘事件」で機動隊員がカップヌードルを食べる姿がテレビ放映され人気爆発、安藤百福はカップ麺工場を全国展開し業容を急拡大させた。首位の座を固めた日清食品はライバルと競いつつうどん・そば・焼きそばへ手を拡げ「ドン兵衛」「U.F.O.」「ラ王」など不朽の定番品を送出、安藤百福は長男に社長を譲るも追放し1985年次男の安藤宏基を社長に据えたが(2015年現任)2005年まで取締役に留まり退任2年後に96歳で永眠した。晩年の安藤百福は即席麺・カップ麺の「発明」に拘り「インスタントラーメン発明記念館」や財団活動で自己宣伝に努めたが、実質はテレビCMと特許戦略で同質競争を制したプロモーションの先覚者であった。日本発祥の即席麺はアジアから世界へ広がり2012年1千億食に到達した(中国が約半数、日本は54億食で3位)。