日本史年表へ戻る
「謎の発病」で退陣した石橋湛山に代わり自民党総裁を引継いだ岸信介が組閣した。「昭和の妖怪」岸信介は謎が多く真意が見えにくいが、アメリカの一枚上手を行く稀有な政治家であった。戦前の岸信介は統制経済を牽引した「革新官僚」で満州国総務庁次長として「弐キ参スケ」に数えられ、東條英機内閣の商工大臣を務めたことでA級戦犯容疑で投獄された。しかし獄中で岸信介が予見した通り東西冷戦に伴うアメリカの対日政策変更で不起訴のまま釈放され、1951年公職追放解除で政界に復帰した。社会党に拒まれた岸信介は実弟の佐藤栄作を頼り自由党に入るも吉田茂の従米路線に反対し除名処分、反吉田勢力が結党した日本民主党に加わり鳩山一郎総裁・重光葵副総裁に次ぐ幹事長に就任した。一方、岸信介は米国要人にも人脈を広げ国務長官・CIA長官のダレス兄弟と親密になりアイゼンハワー大統領にも食込んだ。1955年「保守合同」に際しダレス国務長官は保守政党への財政支援を示唆しCIAから巨額の資金が供与されたが(200万ドルとも1000万ドルとも)、受取り手の中心は岸信介であった。従米派とみられた岸信介首相はアメリカの期待に応え再軍備を推進したが、「戦前の大日本帝国の栄光を取り戻す」べく日米安保条約の不平等是正に挑みアジア重視の外交政策(外交三原則)に取組んだ。アイゼンハワー大統領は「安保改定」に理解を示したが米軍とCIAは岸信介政権を危険視し、池田勇人・三木武夫ら自民党従米派と「安保闘争」の妨害で本丸の日米行政協定には踏込めずに終わった。「新安保条約」成立直後に岸信介内閣は退陣したが安保闘争も忽ち終息、「学生運動指導者らに確たる目的はなく、従米派の政治家・財界人・新聞各社が岸信介内閣打倒のために仕掛けた扇動工作」との説が説得力を持った。岸信介は新安保の有効期限を10年に区切り以降は1年前予告で破棄できる条項をねじ込み「真の独立」を次代へ託したが、佐藤栄作以後の内閣は不変更新を続ける。2015年安倍晋三内閣は「集団的自衛権」を合法化したが、祖父の岸信介が目指した双務的体裁の実質化・米軍撤退・軍事的独立への再挑戦と信じたい。