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池田勇人の失言癖は歴代首相の中で際立つが、何とも憎めない人柄で敗戦後の日本を明るくした感もある。1949年衆議院選挙に初当選した池田勇人はいきなり吉田茂内閣の蔵相に就任したが、ドッジ・ライン恐慌で日本の産業界が壊滅に瀕すなか「中小企業の一部倒産やむなし」「貧乏人は麦を食え」と口を滑らせ、1952年又も「中小企業の倒産・自殺やむなし」と失言し通産相の職を失った。しかしユーモア溢れる池田勇人は放言癖を逆手にとり1960年の総選挙で自民党のテレビCMに登場、「私はウソは申しません」の名台詞は流行語となった。大酒呑みでザックバランな池田勇人は部下からも慕われ、「所得倍増計画」の謀臣下村治を筆頭に、後に首相となる宮澤喜一と大平正芳、河上弘一(日本輸出銀行初代総裁)小林中(日本開発銀行初代総裁)ら多くの人材に活躍の場を与え、部下の成長と共に「宏池会」は強大化し「保守本流」に定着した。腹心の宮澤喜一は池田勇人を「自分が秀才ではないと思い込んでしまった人」と評し「ディスインテリ」という造語を奉っている。地元広島を愛する池田勇人は広島カープ後援会の名誉会長を務めたが、ある日カープを負かした相手球団の選手にいきなり電話を掛け「ワシは池田勇人じゃ。今日はよくもカープを負かしてくれたなあ」と脅したという。また遡って終戦の3日後、日本政府は近衛文麿の要請に応じ進駐軍兵士専用の売春館「特殊慰安施設」を開業したが、大蔵官僚の池田勇人は「1億円で純潔が守られるのなら安い」と気前良く金を出している。池田勇人の人柄を偲ばせる名場面であった。