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戦犯狩りが始まり要人が挙って保身に奔るなか、重光葵外相は「折衝の もし成らざれば死するとも われ帰らじと誓いて出でぬ」と決死の覚悟でGHQに乗込み「英語を公用語とする」「米軍票を通貨にする」という無茶な布告を撤回させたが、数日後に外相を罷免された。重光葵の後任外相に納まりGHQの占領政策を担った吉田茂は「外務大臣に任命されたとき、総理大臣であった鈴木貫太郎氏に会った。そのとき鈴木氏は『負けっぷりも、よくないといけない。鯉はまな板の上に乗せられてからは、庖丁をあてられてもびくともしない。あの調子で、負けっぷりをよくやってもらいたい』といわれた。この言葉はその後、私が占領軍と交渉するにあたっての、私を導く考え方であったかもしれない」と述懐している。重光葵の腹心で共に布告撤回に尽力した岡崎勝男は、勝ち馬の吉田茂へ乗換えて従米外交の担い手となり日米行政協定に暗躍、「第五福竜丸被爆事件」直後の日米協会のスピーチでは「米国のビキニ環礁での水爆実験に協力したい」などと暴言を吐いた。一方、GHQに危険視された重光葵は外相更迭の翌年東京裁判の獄に繋がれ禁固7年の有罪判決を受けた。『続 重光葵日記』に曰く「結局、日本民族とは、自分の信念をもたず、強者に追随して自己保身をはかろうとする三等、四等民族に堕落してしまったのではないか・・・節操もなく、自主性もない日本民族は、過去において中国文明や欧米文化の洗礼を受け、漂流していた。そうして今日においては敵国からの指導に甘んじるだけでなく、これに追随して歓迎し、マッカーサーをまるで神様のようにあつかっている。その態度は皇室から庶民にいたるまで同じだ・・・はたして日本民族は、自分の信念をもたず、支配的な勢力や風潮に迎合して自己保身をはかろうとする性質をもち、自主独立の気概もなく、強い者にただ追随していくだけの浮草のような民族なのだろうか。いや、そんなことは信じられない。いかに気もちが変化しても、先が見通せなくても、結局は日本民族三千年の歴史と伝統が物をいうはずだ。かならず日本人本来の自尊心が出てくると思う」。