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アメリカ進駐軍の第一陣が日本上陸した当日、皇族の東久邇宮稔彦王首相は記者会見に応じ有名な「一億総懺悔」発言を行った。曰く「事ここに至ったのは、もちろん政府の政策がよくなかったからであるが、また国民の道義のすたれたのもこの原因の一つである。この際私は軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬと思う。一億総懺悔をすることがわが国再建の第一歩であり、国内団結の第一歩と信ずる。今日においてなお現実の前に眼を覆い、当面を糊塗して自らを慰めんとする如き、また激情にかられし事端をおおくするが如きことは、とうてい国運の恢弘を期する所以ではありません。一言一句ことごとく、天皇に絶対帰一し奉り、いやしくも過またざることこそ臣氏の本分であります」。「臣民全員が天皇に敗戦を詫びる」という東久邇宮稔彦王の思考こそが大日本帝国を狂わせた元凶であろうが、吉田茂内閣の従米路線のもと懺悔対象が「天皇」から「国際社会(民主的なアメリカ→マルクス主義の国際正義→迷惑をかけたアジア諸国)」にすり替って日本は自虐史観の国となり、また一億総懺悔で「戦争責任」は吹飛び日本人自身による開戦敗戦の原因究明も戦犯追及もないままに「戦後」が始まってしまった。なお東久邇宮稔彦王は、皇族の陸軍大将ゆえに戦後最初の暫定首相に担がれ2ヶ月足らずで退陣、1947年に皇籍離脱したが公職追放に遭難した。一般人となった「東久邇稔彦」は、新宿西口の闇市「青空マーケット」で食料品店・喫茶店・骨董品店などを開いたが事業は悉く失敗し、怪しい人脈に担がれ「ひがしくに教」を興すも世間を騒がせただけに終わった。岸信介への首相退陣要求や「東久邇紫香」との婚姻騒動など時たま世間を賑わせた東久邇稔彦は、なんと102歳の長寿を保ち1990年に大往生を遂げた。