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ソ連軍の軍規は最悪で、獣のように日本人民間人に襲い掛かり、略奪と殺戮を行いながら満州全土に侵攻した。満州には78万人もの関東軍がほぼ無傷で駐留していたが、梅津美治郎参謀総長の命令を受けた山田乙三総司令官・秦彦三郎総参謀長ら関東軍首脳は、兵力温存のため防衛線を順次南下させて事実上撤退させた。8月14日に終戦が決すると17日には武装解除、多くの軍人が民間人を置き去りにして日本本土に逃げ帰った。ところが、ソ連軍は、8月14日の日本の終戦通告は一般的なステートメントに過ぎず、降伏文書調印までは攻撃を継続すると宣言して侵攻を続け、武装解除により抵抗力を削がれた日本人の被害は甚大なものとなった。関東軍も約8万人の戦死者を出したが、関東軍に見捨てられた入植者は一層悲惨で、18万人もの民間人がソ連軍に虐殺された。さらに57万人以上が捕捉されて酷寒のシベリアに送られ、法的根拠無く何年も過酷な労働を強いられた挙句、最終的に10万人以上が帰国できずに現地で亡くなるという悲劇が生じた。こうして満州事変以来の日中戦争は最悪の結末を迎え、兵士だけで40万人以上の犠牲者を出して終結した。