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世界に先駆けた米国の原子爆弾開発は1942年開始の「マンハッタン計画」で進められ、オッペンハイマー物理学博士率いる技術スタッフは既に実証研究を完了させていた。1945年トルーマン米大統領の指示のもと、原爆計画の総指揮官グローブス少将は、ニューメキシコ州アラモゴードで原子爆弾の投下実験を行い、これを成功させると大急ぎで原子爆弾2基を製造、爆撃発進地のテニアンに運送した。一方、日本への投下命令手続きも異常に迅速に進められ、グローブス少将が起案、マーシャル参謀総長ほかの軍首脳の承認を経て、ポツダム宣言が出される7月26日に間に合わせるかのように、7月24日、ポツダムにいるトルーマン米大統領が最終承認を下した。アメリカの原爆計画関係者のほとんどは「日本への」原爆投下を問題視しなかったが、少数ながら良識ある反対派も存在した。なかでもラルフ・バード海軍次官は、人道主義に立って猛反対し、原爆の使用が避けられないなら事前に予告し日本に考える猶予を与えるべきであると主張、しかしトルーマンが原爆投下を決定したのを受けバードは辞任した。