日本史年表へ戻る
小磯國昭内閣が徒に時間を費消するなか、相次ぐ戦勝に勢いあがるアメリカ軍は軍艦1300隻超・飛行機1700機以上・上陸部隊18万人の大軍勢を投じて沖縄に侵攻した。圧倒的な物量作戦を前に日本軍は牛島満中将・大田実少将が率いる10万人弱であり、ともかく人数だけは確保しようと沖縄の民間人2万5千人を動員、無残にも女学校の上級生600人まで徴用して「ひめゆり部隊」などに編成した。沖縄が落ちると「本土決戦」は自明であり、陸海軍は虚しい時間稼ぎのために残された総力を沖縄戦に投入、航空部隊は特攻作戦を繰返し、戦艦大和は沖縄に辿り着く遥か手前の豊後水道で撃沈した。日本軍の死闘にも関わらず、アメリカ軍は続々と上陸部隊を送込み、非戦闘員をも巻込んだ総力戦となった。沖縄戦の戦没者は20万人以上とされるが、その半分以上が沖縄の民間人であったといわれ、沖縄県人口約57万人の20%以上が亡くなった計算となる。