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サイパン、テニアン、グアムを奪取して航空基地を建設し日本本土をB29爆撃機の射程圏内にとらえたアメリカ軍は、カーチス・ルメイ将軍が開発した効果的な戦術のもと、日本の各都市に焼夷弾爆撃を繰返した。本土に残された僅かな防空兵力は次々に壊滅させられ、日本本土は丸裸の状態となった。全国の軍事施設や軍事工場は次々と破壊され、無防備の一般市民をターゲットとする都市の無差別爆撃は全国に及び、40万人を超える犠牲者を出した。犠牲者の4割は学徒動員で軍需工場に駆り出された15歳~20歳の若者であった。特に首都東京は110回を超える空襲を受けて10万人近い死者を出し焼け野原と化した。