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マッカーサー率いる米陸軍とニミッツ提督の米海軍は、ガダルカナル制圧後怒涛の北上進撃を開始し、マリアナ諸島・フィリピンに迫った。サイパン島陥落は日本本土がB29爆撃機の射程圏内に晒されることを意味し、絶対にここを落とせない日本軍はサイパン・テニアン・グアムに大規模陸軍部隊を投入し最大限の防御体制を構築、東條英機首相(兼陸相)は「サイパンの防衛は安泰、水際で敵を完璧に追い落とす」と豪語していた。が、アメリカ軍の圧倒的な物量作戦によりサイパンの防衛線はあっけなく壊滅、連合艦隊が総力を挙げて決戦を挑むが空母3隻が撃沈・航空機400機がほぼ全滅という完敗を喫し、補給路を絶たれ孤立したサイパン守備隊は玉砕し殲滅された。サイパンを制圧したアメリカ軍はテニアン・グアムを落としてマリアナ諸島全域を掌握、航空基地を建設し日本本土爆撃の準備を進めた。なお、一連の激戦により日本軍はサイパンで約3万人(民間人1万人)・グアムで約1万8千人もの戦死者を出した。この期に及んでもなお東條英機首相は勇ましい強硬論を振りかざしたが、岡田啓介・米内光政・若槻禮次郞・宇垣一成ら重臣が結束し東條内閣を退陣に追込んだ。