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山本五十六の真珠湾攻撃勝利で有頂天となった日本海軍は、ラバウル島のさらに先、オーストラリアの手前ガダルカナル島まで野放図に戦線を拡大していた。アメリカ軍にとってダルカナル島は反抗の拠点オーストラリアと米本国を扼する重要地点であり、即座に奪回を決意した。アメリカ軍は、日本軍の工兵部隊が飛行場建設工事を行っていたガダルカナル島を襲撃して陸戦部隊を上陸させ、飛行場を完成させて一大基地としてしまった。日本軍はガダルカナル島奪回を期して猛攻を仕掛け、大激戦となったが完敗、5ヵ月後に撤退を決定した。日本軍のダメージは甚大で、陸軍が投入した兵力33,600人のうち、57%にあたる19,200人が戦死、その半数以上が病死や餓死という悲惨な戦いだった。戦略的には航空兵力の損失が重大で、約900機の飛行機が撃墜され、搭乗員2,362人が死亡、特に日本軍が育成してきたベテランパイロットの大半を失ったことが大きかった。ガダルカナル島陥落後、マッカーサーを指揮官とするアメリカ軍の怒涛の北上進撃が始まる。なお、ガダルカナル島を撤退した兵力はニューギニアに向けられ、1945年の終戦まで無益な戦闘を続けて15万人以上の死者を出すこととなる。