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ガダルカナル島奪回作戦が大失敗に終わると、陸軍中央は決定的敗北を回避すべく撤退へ傾いたが、参謀本部第1部長(作戦部長)の田中新一は更なる大兵力を投入し決戦を挑むべしと猛反発し、宥める佐藤賢了軍務局長と乱闘事件を起し東條英機首相(兼陸相)まで面罵、陸軍中央を追われ前線のビルマ方面軍(第15軍)へ飛ばされた。ガダルカナル島を失えば退勢挽回は不可能になると考えた田中新一は「当たって砕けろ」的発想で徹底抗戦を叫び、一大決戦に敗れたら講和の道を探ればよいとも考えていた。後任の作戦部長には東條英機配下の綾部橘樹が就き、ガダルカナル島撤退を遂行した。石原莞爾・武藤章に続き対米開戦の謀主である田中新一まで追放してしまった東條英機と陸軍中央は戦略を失い、戦局が日々悪化するなか逆に戦争継続への妄執を深め徒に被害を拡大させるという最悪の悪循環に陥った。