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山本五十六の真珠湾攻撃やシンガポール攻略戦などで日本軍が従来不可能とされた航空機による戦艦撃沈を次々と成功させたため、航空兵力の重要性がクローズアップされた。これを受けて、米軍は航空機の大増産を開始、1941年1万9千機、1942年4万9千機。1943年9万2千機、1944年10万機と飛躍的にストックを増大させ、続々と戦場に投入していった。対する日本軍は、資源不足によりほとんど航空機の生産量を増やすことができず、ピークの1944年でも2万8千機に留まった。日本軍はゼロ戦など省資源・高性能の軽量機の開発で対抗したが、生産力の懸絶は如何ともしがたく、結局は物量戦に敗北することとなる。