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日本軍の南部仏印進駐を受け、アメリカは近衛文麿政府と陸海軍の甘い期待に反し対日石油輸出全面禁止を断行、石油禁輸は軍関係だけでなく日本全体の死活問題であった。対日開戦を決意したアメリカは仏印撤退では矛を収めず満州事変以前への原状回復(満州・中国からの全面撤退)を要求、日本が呑めるはずもなく近衛文麿政府は9月6日の第二回御前会議において「10月上旬頃までに日米交渉が妥結できなければ対米開戦に踏切る」と決定した。御前会議開催にあたり、昭和天皇は統帥部トップの杉山元陸軍参謀総長と永野修身海軍軍令部総長を宮中に呼び日米戦争の帰趨について諮問した。陸軍の杉山元は「南方方面作戦を3ヶ月で片付ける」と豪語したが昭和天皇は「杉山は満州事変勃発当時の陸相で、その時は1ヶ月くらいで片付くと言ったが、事変は4年後の今になっても未だ片付いていないではないか」と痛烈に不信感を表明した。杉山元は沈黙したが、海軍の永野修身が「日米関係は手術するしかない瀬戸際にあり、手術には非常な危険があるが、助かる望みがないでもない」と何とも無責任な助け舟を出し場を収めてしまった。東條英機に敗れ陸軍を追われた石原莞爾は「油が欲しいからとて戦争を始める奴があるか」と猛反対し、海軍でも山本五十六が最後まで反対したが、強硬派が中枢を占める陸海軍は振上げた拳を下ろせず、自ら最悪の事態を招いた近衛文麿首相に今さら押戻す力は無かった。