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独ソ戦緒戦でドイツ軍が優位に立つと、統制派の田中新一参謀本部第1部長が主導する陸軍中央と松岡洋右外相らのソ連挟撃論が台頭、これに引きずられた近衛文麿首相は、朝鮮や台湾に駐留する軍隊に動員令を発し、対ソ開戦に備えた関東軍の軍備増強を断行した(関東軍特種演習)。国際社会からの批判をかわすため「演習」と称したが、事実上の開戦準備であった。この結果、関東軍は74万人を超える大兵力となったが、北進政策(ソ連)から南進政策(仏領インドシナ)への転換により兵力は南方へと向けられることとなった。陸軍中枢では、南北(ソ連と英米)両面戦争を推進する田中新一ら強硬派と、戦争不拡大を図る武藤章の凌ぎ合いがあったが、武藤章は無謀な対ソ連開戦を阻止するため南進政策に同意したとされる。