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第二次近衛文麿内閣で外相に任じられ20年ぶりに外務省へ凱旋復帰した松岡洋右は、かつて傍流に甘んじた恨みを晴らすかのように公の場で外交官を罵倒し、爆弾テロで右脚切断の重傷を負った重光葵駐英大使を除く主要在外外交官40数名を更迭するなどエリートの一斉粛清を強行した。一方で松岡洋右外相は、「新外交」の旗手白鳥敏夫を外務省顧問に任じ大島浩や吉田茂を優遇するなど気脈を通じる強硬派を引上げて外務省中枢を固め、短慮な「積極外交」と独りよがりの「大東亜共栄圏」構想に邁進する体制を整えた。