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泥沼化の様相を深める日中戦争に対し、世論には厭戦ムードが広がり、張本人である陸軍の武藤章さえも停戦論に傾いた。そこで、オスカー・トラウトマン駐中国ドイツ大使が間に入って、日中和解工作が進められ、停戦への期待が高まった。ところが、近衛文麿首相・広田弘毅外相は、賠償金要求など非現実的な強硬論を主張、「軍部がかくの如く拙策をとって講和を急ぐ真意は理解できない」などとしてせっかくの和解案を蹴ってしまった。国際良識派とされ後に日独同盟・対米開戦に反対する米内光政海相は、このとき断固膺懲を唱え、陸軍参謀本部の停戦要求に反対した。