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1937年の機械系輸出品目で自転車が初めて首位に立ち、次いで船舶・鉄道車両・自動車・自動車部品の順となり、玩具や製鉄も輸出産業へ台頭した。なお1937年は日中戦争開戦の年であり、豊田喜一郎が軍用トラック製造のためトヨタ自動車工業を設立し、日産自動車の鮎川義介は満州重工業開発を設立し日産コンツェルンの満州移転を開始している。自転車の輸出先は中国32%を筆頭にインドネシア・インド・満州など。江戸時代初頭より各藩にはお抱えの鉄砲鍛冶が存在したが、幕末に洋式銃砲に切替わったことで多くが職を失った。失業した鉄砲鍛冶たちは文明開化で普及が始まった自転車に着目し、修理業から始め自転車製造の担い手へ成長した。宮田自転車を創業しトップメーカーに育てた宮田栄助も、常陸笠間藩のお抱え鉄砲鍛冶の出身である。優秀で低コストな職人の活躍で、日本の自転車生産台数は1923年の7万台から1928年12万台・1933年66万台と急増し1936年には100万台を突破した。世界の自転車市場はイギリスの牙城であったが、イギリス製品の半額ほどで品質も劣らない日本製品は瞬く間にシェアを獲得し、大英帝国は中国・インドなどの支配地で日本製自転車に高関税をかけるなどして対抗したが圧倒的な低価格攻勢に押切られた。繊維製品に続き自転車でも輸出競争に敗れたイギリスの反日感情は一層悪化した。