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盧溝橋事件が起ると、陸軍の圧力を受ける間もなく、近衛文麿首相・広田弘毅外相・米内光政海相は即座に対中国強硬姿勢を鮮明にし、武藤章・田中新一ら「華北分離工作派」が主導する陸軍の要請を受入れて、朝鮮と満州から二個師団、日本から三個師団を中国戦線に投入することを決めてしまった。近衛首相は陸軍統制派の「中国一激論」に影響されて中国の抵抗力を侮っていたが、蒋介石の後ろに英米が控えていることをもっとよく考えるべきであった。