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寺内寿一陸相と政党の対立激化で「腹切り問答」が起り広田弘毅内閣が総辞職、代わって陸軍の林銑十郎が組閣した。重臣会議は陸軍長州閥の系譜を継ぐ穏健派の宇垣一成を首相指名したが、石原莞爾ら一夕会系幕僚は宇垣内閣を「流産」させ林銑十郎を擁立した。林銑十郎は、満州事変で参謀の石原莞爾・神田正種に担がれ朝鮮軍の越境出動を断行し、皇道派の真崎甚三郎に属したが永田鉄山へ鞍替えし統制派優先人事を後援した人物で、石原にとっては「猫にも虎にもなる」便利な傀儡であった。時代錯誤で意味不明な「祭政一致」を掲げ発足した林銑十郎内閣は、政党勢力に打撃を与えるべく抜打ち解散(食い逃げ解散)を強行したが続く総選挙で惨敗、陸軍にも見放されて僅か4ヶ月で退陣し「何もせんじゅうろう内閣」と揶揄された。