
さとう えいさく
佐藤 栄作
1901年~1975年
80
点
吉田茂の後継者ながら実兄岸信介の自主外交を踏襲、歴代2位の長期政権を担い沖縄返還を果したが「繊維密約」を反故にし「ニクソン・ショック」で報復された高度経済成長の幕引き役
同じ時代の人物

基礎点
70
点
佐藤栄作は、吉田茂の後継者ながら実兄岸信介の自主外交を踏襲、高度経済成長の円熟期に歴代2位の長期政権と自民党黄金時代を現出させ、沖縄返還を達成しノーベル平和賞を受賞した。山口県から上京し東大法学部を卒業した佐藤栄作は松岡洋右(妻の伯父)の推薦で鉄道省に出仕、次官コースから外れ大阪鉄道局長で終戦を迎えたが、左遷が幸いして公職追放を免れ運輸次官に浮上した。1948年吉田茂の引きで政界へ転じた佐藤栄作はいきなり内閣官房長官に抜擢され、翌年の総選挙で衆議院議員初当選ながら自由党幹事長に就任、1951年第三次吉田茂内閣で初入閣を果した。佐藤栄作は「造船疑獄」で糾弾され(国連加盟の恩赦で免訴)1955年の「保守合同」では吉田茂に殉じ与党自民党を離れたが、鳩山一郎の政界引退で自民党加入を許され第二次岸信介内閣で蔵相に就任、「安保闘争」に乗じ倒閣に動いた池田勇人と袂を別ち首相官邸で兄を支えた。続く池田勇人内閣では、佐藤栄作は閣内にあって池田首相の経済至上主義を批判し三選を阻止すべく自民党総裁選に出馬、池田が勝利するも間もなく病気で退陣し1964年佐藤栄作内閣が発足した(池田裁定)。佐藤栄作首相は岸信介の自主外交を復活させ「沖縄返還」に挑戦、ジョンソン米大統領との会談では、ベトナム戦争への軍事協力を拒否しつつ1970年に控える安保条約更新を切札に「数年以内の沖縄返還」合意を引出した。反核世論に腐心した佐藤栄作首相は「非核三原則」「核抜き・本土並み」を建前としつつ、非常時の核兵器持込みと日本の繊維輸出自主規制を認めた「密約」でニクソン米大統領の妥協を引出し1972年沖縄返還を達成した。しかし「糸で縄を買った」批判のなか佐藤栄作首相は「繊維密約」に白を切り、激怒したニクソン・キッシンジャー政権は直ちに報復に乗出し1971年同盟国日本に無断で電撃的に「ニクソン訪中」を宣言しドル兌換停止(ドル切下げ)も断行(ニクソン・ショック)、さらに米国務省は「尖閣問題」の日本支持を修正し態度を曖昧化させた。アメリカに敵視された佐藤栄作首相は沖縄返還を花道に退陣を余儀なくされ、3年後に74歳で永眠した。
10
点
1968年核兵器保有国にして国連常任理事国の米ソ英仏中は、新たな核保有国の出現を阻止すべく国連62か国を巻込み「核拡散防止条約」を成立させた。が、日本の佐藤栄作首相は「核保有国は非保有国に対して核兵器を使ってはならない」という非保有国側が当然主張すべき前提条件を要求し保有国の自分勝手を質した。「核を所有する国が自分のところは減らそうとせず、非核保有国に核をもたせまいとするのはダメで、このような大国本位の条約に賛成することはできるはずがない。『他国の核の傘に入りたい』などといったり、大国にあわれみをこうて、安全保障をはかることは考えるべきでない・・・現在の日本は米国と安全保障条約を結んでいるが、日本はまだ米国の傘のなかには入っていない」という主権国家としての堂々たる態度で、佐藤栄作首相の主張は国連の理解を得て「非核保有国の安全保障に関する安保理決議」に結実したが、「大国本位」はビクともしなかった。この後の1972年「沖縄返還」を達成した佐藤栄作首相は「非核三原則」などによりノーベル平和賞を受賞している。ただしノーベル賞といっても、成果が明らかな物理学賞・化学賞・医学生理学賞と異なり、平和賞は政治臭が強く大きな意味は無い(文学賞・経済学賞も)。

1901
年
山口県熊毛郡田布施町で酒造業を営む佐藤秀助の三男に佐藤栄作が出生(岸信介は実兄)
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1910
年
佐藤秀助(婿養子)が次男の岸信介を実家岸家の養子に出す
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1912
年
明治天皇が崩御し大正天皇が即位
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1920
年
岸信介が東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業し農商務省出仕
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1924
年
佐藤栄作が東京帝国大学法学部法律学科(独法)卒業、親戚の松岡洋右の引きで鉄道省に入省し門司鉄道局等勤務
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1926
年
佐藤栄作が寛子(叔父佐藤松介の長女・松岡洋右の姪)と結婚
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1934
年
佐藤栄作が鉄道研究のため米国出張(~1936)
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1938
年
佐藤栄作が中国出張を経て鉄道省課長に昇進
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1939
年
ドイツ軍がポーランド侵攻、英仏が独に宣戦布告し第二次世界大戦勃発
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1939
年
岸信介が満州から帰国し商工次官に就任
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1939
年
企画院事件発生、岸信介ら革新官僚が赤化思想として糾弾される
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1941
年
企画院事件で小林一三商工相と岸信介商工次官が対立し両者辞任(後任商工相は豊田貞次郎)
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1941
年
松岡洋右外相が南進から北進へ転じ対ソ開戦を主張
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1941
年
佐藤栄作が鉄道省局長に昇進
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1943
年
商工省が軍需省へ改組され東條英機首相が軍需相兼任、岸信介商工相は国務大臣兼軍需次官に降格
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1945
年
ハリー・S・トルーマン(共和党)が米大統領就任(~1953)
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1945
年
ドイツが連合国に降伏
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1945
年
玉音放送
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1945
年
佐藤栄作が大阪鉄道局長で終戦を迎える
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1945
年
東久邇宮稔彦王内閣(公家)発足、重光葵が外相就任(吉田茂に途中交代)
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1945
年
GHQが陸海軍解体指令
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1945
年
昭和天皇・マッカーサー会談(以後11回)
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1945
年
マッカーサーが日本軍の武装解体完了を宣言
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1945
年
国際連合発足
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1945
年
日本社会党(片山哲書記長)・日本自由党(鳩山一郎総裁)・日本進歩党(町田忠治総裁)の結党が相次ぐ
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1945
年
陸軍省・海軍省が復員省に改組され700万人以上の復員軍人を処理
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1945
年
衆議院議員選挙法改定(婦人参政権容認)、「GHQ解散」
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1946
年
天皇の「人間宣言」(神格否定の詔書公表)
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1946
年
GHQが日本政府から沖縄施政権を剥奪
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1946
年
佐藤栄作が運輸省鉄道総局長官に就任し輸送力回復や労使交渉に奔走
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1946
年
GHQが幣原喜重郎内閣の第一次農地改革法案を拒否し徹底的改革を命令
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1946
年
インフレ抑制のため預金封鎖・新円切替を断行
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1946
年
新選挙法による初の衆議院総選挙で鳩山一郎の自由党が勝利(初の女性議員39名が誕生)
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1946
年
GHQが自主路線の鳩山一郎を公職追放し第一党自由党の後継総裁に吉田茂が就任
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1946
年
佐藤栄作が松野鶴平により吉田茂内閣の閣僚候補に挙げられるが実兄岸信介がA級戦犯のため見送り
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1946
年
死刑を確実視される松岡洋右が東京裁判公判中に東大病院で病没(享年66)
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1946
年
経済安定本部(安本)・物価庁設置
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1946
年
復興金融公庫法・戦時保障特別措置法成立
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1946
年
吉田茂内閣が当用漢字1850字・旧かなづかい禁止の内閣告示
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1946
年
吉田茂内閣が閣議で鉄鋼・石炭の「傾斜生産方式」採用を決定
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1947
年
佐藤栄作が運輸次官就任
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1947
年
トルーマン米大統領が「トルーマン・ドクトリン」発表(ギリシア・トルコへの支援表明により共産主義勢力と戦う決意を示唆)
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1947
年
GHQにより独占禁止法制定
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1947
年
総選挙、片山哲の社会党が第一党に躍進
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1947
年
吉田茂が旧高知全県区から出馬し衆議院議員初当選(~1963)
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1947
年
マーシャル米国務長官が「マーシャル・プラン」発表(西欧諸国への復興援助表明により東西対立が先鋭化、ソ連はコメコン設立で対抗)
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1947
年
芦田均外相がアメリカ政府に米軍の「有事駐留」を提案し怒りを買う
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1947
年
昭和天皇がGHQに「沖縄の恒久的軍事占領が望ましい」と伝達
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1947
年
民法改正(夫婦平等・戸主権や長子相続権の廃止・自由結婚など)
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1947
年
GHQが匿退蔵物資事件捜査部(東京地検特捜部)を設置
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1948
年
佐藤栄作が運輸次官を辞任し吉田茂の引きで民主自由党入り
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1948
年
ソ連が「ベルリン封鎖」を強行し冷戦緊迫化
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1948
年
佐藤栄作が内閣官房長官就任
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1948
年
GHQが日本解体方針を緩和し「経済安定九原則」発表
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1948
年
内閣不信任案が可決され吉田茂首相は衆議院解散で対抗
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1949
年
衆議院総選挙、吉田茂の与党民主自由党が単独過半数獲得
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1949
年
佐藤栄作(民主自由党吉田茂派)が山口2区から出馬し衆議院議員初当選(~1975)
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1949
年
池田勇人(民主自由党吉田茂派)が広島2区から出馬し衆議院議員初当選(~1965)
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1949
年
第三次吉田茂内閣(民主自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、吉田茂が外相就任(岡崎勝男に途中交代)、池田勇人が蔵相就任
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1949
年
GHQが1ドル=360円の単一為替レートを設定
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1949
年
北大西洋条約機構(NATO)発足
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1949
年
吉田茂首相が日本独立後も米軍駐留を望む旨を示唆
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1949
年
ドッジ・ラインに基づく国鉄人員整理発表、下山事件・三鷹事件・松川事件
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1949
年
シャウプ勧告(税制改革指令)
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1949
年
ソ連の核実験成功で東西冷戦が本格化
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1949
年
毛沢東の共産党が国共内戦を制し北京で中華人民共和国樹立を宣言、アメリカで日本再軍備(反共の防波堤)要請が一層高まる
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1949
年
吉田茂首相が西側陣営との単独講和にも応じる旨を声明
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1950
年
民主自由党が自由党に改称
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1950
年
中ソ友好同盟相互援助条約成立、アメリカで日本再軍備(反共の防波堤)要請が一層高まる
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1950
年
学者グループが「厳正中立・全面講和」声明発表、西側との「単独講和」を進める吉田茂首相は「曲学阿世」発言で対抗
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1950
年
吉田茂首相が池田勇人蔵相・宮澤喜一秘書官を派米し米軍駐留継続と単独講和を申入れ
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1950
年
佐藤栄作が吉田茂の引きで自由党幹事長就任
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1950
年
GHQと反共の吉田茂首相がレッド・パージを開始し約1万2千人を公職追放(逆コース)
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1951
年
自由党に鳩山一郎の派閥が起り吉田茂の主流派と勢力伯仲
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1951
年
佐藤栄作が第三次吉田茂内閣に郵政大臣兼電気通信大臣で初入閣
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1951
年
サンフランシスコ講和条約を巡り社会党が左右派に分裂
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1952
年
GHQ指令を受け吉田茂政府が海上警備隊(海上自衛隊)創設
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1952
年
岸信介が日本再建連盟結成
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1952
年
血のメーデー事件(2人射殺・逮捕者1230人)
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1952
年
ロバート・D・マーフィー米大使就任(~1953)
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1952
年
自由党で吉田茂派と鳩山一郎派の溝が深まり吉田首相は抜打解散で対抗
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1952
年
衆議院総選挙、自由党が圧勝し鳩山一郎ら公職追放解除者が衆議院議席の42%を占める、岸信介の日本再建連盟は大敗
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1952
年
鳩山一郎への首相禅譲密約により第四次吉田茂内閣(自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、岡崎勝男が外務大臣就任、池田勇人が通商産業大臣兼経済審議庁長官就任、佐藤栄作が建設大臣就任
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1953
年
ドワイト・D・アイゼンハワー(共和党)が米大統領就任(~1961)
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1953
年
ジョン・フォスター・ダレスが米国務長官就任(~1959)、引き続き対日政策を主導
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1953
年
吉田茂首相が衆議院を「バカヤロー解散」、鳩山一郎・広川弘禅が分派し分党派自由党結成
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1953
年
右派社会党に入党を断られた岸信介が福田赳夫ら配下と共に佐藤栄作のツテで与党自由党に入党
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1953
年
岸信介(自由党)が山口2区から出馬し衆議院議員に当選(~1979)
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1953
年
ソ連に人類史上最悪の恐怖政治を敷いたスターリンが死去、フルシチョフがベリヤ・マレンコフを粛清し後継体制確立
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1953
年
第五次吉田茂内閣(自由党・外務官僚・従米路線の祖)発足、岡崎勝男が外務大臣就任
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1953
年
ジョン・M・アリソン米大使就任(~1957)
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1953
年
朝鮮戦争休戦、反動需要減に日銀の金融引き締めが拍車をかけ長期不況に陥る
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1953
年
鳩山一郎が分自党を解消し吉田茂の自由党に復党、三木武吉・河野一郎・石橋湛山らが離脱し日本自由党結成
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1953
年
奄美群島が本土復帰
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1954
年
日本漁船がビキニ環礁にてアメリカの水爆実験に遭難(第五福竜丸事件)
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1954
年
造船疑獄、佐藤栄作逮捕を拒否した犬養健(犬養毅の次男)法相が辞任
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1954
年
アメリカの圧力により吉田茂政府が国家警察予備隊を常設軍隊「自衛隊」へ改組(陸上13万人・海上1万5千人・航空6千人)
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1954
年
佐藤栄作が造船疑獄により自由党幹事長辞任
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1954
年
吉田茂首相の自由党が従米路線に反抗する岸信介を除名
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1954
年
反抗勢力が日本民主党に合同し(鳩山一郎総裁・重光葵副総裁・岸信介幹事長)内閣不信任決議で吉田茂内閣を打倒
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1955
年
総選挙、鳩山一郎首相の民主党政権は絶対多数を獲得できず憲法改正を断念し対ソ外交に注力
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1955
年
アジア・アフリカ会議(バンドン会議)開催
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1955
年
ワルシャワ条約機構(WTO)発足
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1955
年
左右社会党統一(鈴木茂三郎委員長・浅沼稲次郎書記長、衆院156議席・参院69議席)
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1955
年
保守合同で自由民主党(鳩山一郎総裁・岸信介幹事長、衆院299議席・参院69議席)が発足し「55年体制」開始
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1955
年
吉田茂・佐藤栄作らが自由民主党に参加せず無所属となる
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1956
年
フルシチョフの「スターリン批判」演説が西側に伝わり「雪どけ」機運高まる
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1956
年
鳩山一郎政府が経済白書に「もはや戦後ではない」と記し戦後復興完了を宣言
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1956
年
謎の急病に倒れた石橋湛山首相に代わり岸信介外相が首相臨時代理を務める
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1956
年
佐藤栄作が造船疑獄(政治資金規正法違反容疑)で訴追されるも国連加盟の恩赦で免訴
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1957
年
鳩山一郎が自民党を離党し吉田茂派の佐藤栄作らが自民党復帰
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1957
年
ダグラス・マッカーサー2世が米大使就任(~1961)、日本政府をリード
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1957
年
欧州経済共同体(EEC)発足
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1957
年
岸信介首相が「憲法は自衛のための核兵器保有を禁ずるものではない」と発言、自衛隊の軍備拡張計画(第一次防衛力整備計画)を承認
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1958
年
日本が初めて国連安全保障理事会の非常任理事国となる
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1958
年
総選挙、岸信介首相の与党自民党は大勝できず憲法改正を断念し安保改定に注力
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1958
年
岸信介内閣が「勤務評定問題」で日協組を攻撃し対立が深まる
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1958
年
岸信介内閣が警職法改正案(警察権限の拡大)を提出するが反対運動により廃案
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1958
年
毛沢東の「大躍進」政策で中国経済が壊滅し数千万人が餓死(~1960)
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1958
年
毛沢東が台湾侵攻を図るが米軍の抵抗で断念(台湾海峡クライシス)
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1959
年
鳩山一郎死去
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1959
年
ジョン・フォスター・ダレス米国務長官が病気により辞任
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1959
年
池田勇人が通商産業大臣就任
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1960
年
安保闘争によりアイゼンハワー米大統領の訪日中止
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1960
年
岸信介首相が大野伴睦配下の右翼暴漢に刺され翌日内閣総辞職
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1960
年
石油輸出国機構 (OPEC) 設立
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1960
年
浅沼稲次郎社会党委員長が演説中に刺殺される
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1960
年
ベトナム戦争勃発(~1975)、韓国などアジア諸国が派兵するなか池田勇人政府は軍事協力を拒否
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1961
年
ジョン・F・ケネディ(民主党)が米大統領就任(~1963)
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1961
年
エドウィン・O・ライシャワー米大使就任(~1966)、日米蜜月関係を演出し沖縄返還に奔走
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1961
年
佐藤栄作が通商産業大臣就任(~1962)
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1961
年
東ドイツが「ベルリンの壁」建設
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1962
年
キューバ危機、フルシチョフ首相のミサイル撤去決断により核戦争回避
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1963
年
佐藤栄作が科学技術庁長官兼北海道開発庁長官就任(~1964)
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1963
年
米ソ英が部分的核実験停止条約調印
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1963
年
ジョン・F・ケネディ米大統領暗殺
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1963
年
リンドン・ジョンソン(民主党)が米大統領就任(~1969)
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1964
年
マッカーサー死去
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1964
年
米軍の謀略でトンキン湾事件発生、北爆によりベトナム戦争激化
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1964
年
IMF・世界銀行東京総会
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1964
年
東海道新幹線・名神高速道路・首都高速道路が相次ぎ開通
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1964
年
東京オリンピック
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1964
年
ソ連でフルシチョフが失脚しブレジネフ政権へ移行
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1964
年
中国が核実験に成功(米ソ英仏に次ぐ5番目の保有国)
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1965
年
日韓基本条約調印
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1965
年
池田勇人死去
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1965
年
日韓国交回復(無償供与1080億円・借款720億円・民間借款1080億円超)
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1965
年
戦後初の国債発行
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1966
年
政権奪還を図る毛沢東が文化大革命を発動し中国が内乱状態となる(~1976)
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1967
年
公害問題が深刻化し四大公害訴訟はじまる(水俣病・第二水俣病・四日市ぜんそく・イタイイタイ病)
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1967
年
佐藤栄作首相が「武器輸出三原則」発表
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1967
年
第三次中東戦争、勝利したイスラエルの領土が約4倍に拡大
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1967
年
中国が水爆実験実施(米ソに次ぐ3番目の水爆保有国)
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1967
年
欧州共同体(EC)発足
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1967
年
公害対策基本法施行
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1967
年
東南アジア諸国連合(ASEAN)発足
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1967
年
佐藤栄作首相が東南アジア・オセアニア11ヶ国歴訪
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1967
年
吉田茂死去
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1968
年
全共闘運動が全国の大学に広がる
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1968
年
小笠原諸島が本土復帰
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1968
年
米ソ英仏中を含む62か国が核拡散防止条約調印
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1968
年
日本のGDPがアメリカに次ぐ世界2位となる
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1969
年
東大安田講堂事件
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1969
年
リチャード・ニクソン(共和党)が米大統領就任(~1974)
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1969
年
珍宝島事件・中ソ国境紛争
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1969
年
岸信介が佐藤栄作首相の要請で渡米しニクソン大統領と沖縄返還の下交渉
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1969
年
アメリカNASAのアポロ11号が初の有人月面着陸に成功
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1969
年
冷戦のデタント時代(~1979)
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1970
年
日本万国博覧会が大阪で開催され万博史上最高6422万人の入場者数を記録
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1970
年
よど号ハイジャック事件
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1970
年
三島由紀夫が自衛隊市谷駐屯地で割腹自殺
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1970
年
対日貿易を中心にアメリカの貿易赤字が拡大
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1971
年
ソ連が初の宇宙ステーション・サリュート1号を打ち上げ(搭乗員は全員死亡)
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1971
年
沖縄返還協定調印
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1971
年
環境庁発足
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1971
年
アメリカの支持により中国が国際連合に加盟(台湾中華民国は脱退)
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1972
年
札幌冬季オリンピック
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1972
年
連合赤軍あさま山荘事件
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1972
年
田中角栄が「日本列島改造論」発表
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1972
年
「日本列島改造論」の田中角栄政権で高速道路・地方鉄道の建設ラッシュが始まる
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1973
年
日本を含む各国が変動相場制へ移行し円急騰
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1974
年
ジェラルド・R・フォード(共和党)が米大統領就任(~1977)
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1974
年
佐藤栄作がノーベル平和賞受賞
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1975
年
サイゴン陥落により共産軍勝利でベトナム戦争終結
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1975
年
佐藤栄作が死去(享年74)、日本武道館で大隈重信以来の「国民葬」(葬儀委員長は田中角栄)
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岸信介
実兄
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福田赳夫
岸派ながら後継者として期待
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安倍晋太郎
岸の女婿
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安倍晋三
岸の孫
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松岡洋右
親戚・戦前の庇護者
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五島慶太
嫌われた鉄道大臣
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吉田茂
ボス
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岡崎勝男
重光から吉田に乗り換えた男
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池田勇人
吉田派仲間だが最後は対立
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下村治
池田の謀臣
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宮澤喜一
池田の秘書官
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大平正芳
池田の秘書官
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田中角栄
佐藤派後継者・葬儀委員長
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愛知揆一
腹心
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保利茂
腹心
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若泉敬
誤解を招いた密使
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重光葵
吉田の宿敵
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鳩山一郎
吉田のライバル
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河野一郎
後継総裁のライバル
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大野伴睦
鳩山の大番頭
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三木武吉
鳩山の大番頭
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石橋湛山
鳩山の後継者
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三木武夫
自民党幹部候補生
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中曽根康弘
自民党幹部候補生
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鈴木善幸
自民党幹部候補生
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竹下登
自民党幹部候補生
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金丸信
竹下の盟友
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川島正次郎
福田のライバルで岸派分裂
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マッカーサー
吉田の親分
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ウィロビー
吉田の上司
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ケーディス
ウィロビーの政敵
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ホイットニー
ウィロビーの政敵
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ジョン・フォスター・ダレス
吉田の政敵
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トルーマン
米大統領
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アイゼンハワー
米大統領
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ジョン・F・ケネディ
米大統領
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ジョンソン
米大統領
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ニクソン
米大統領・報復者
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キッシンジャー
報復者
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クレーギー
米大使
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マーフィー
米大使
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アリソン
米大使
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ダグラス・マッカーサー2世
話の分る米大使
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ライシャワー
話の分る米大使
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