
基礎点
80
点
小平浪平は、欧米技術の模倣を嫌悪し「国産技術立国」の理想を追求し続けた日立製作所創業者である。東大工学部を卒業し発電設備技術者となった小平浪平は、秋田県の藤田組小坂鉱山・広島水力電気を経て「電気工学を学んだ者の羨望の的」東京電燈(現東京電力)送電課長に栄進したが、どの職場でも外国製機械と外国人技師への依存に反発し、「痩せても枯れても自力で機械を作る」ため1906年元上司の久原房之助が開業した久原鉱業所日立鉱山に入社した。鉱山経営に不可欠な電源開発を託された小平浪平は発電所建設を陣頭指揮したが、排水ポンプ用の電動機(モーター)に故障が多く難渋、大半がGEやWestinghouseなど外国製だったことに反骨心を刺激され「故障しないモータが日本人の手で作れるはずだ、作れないのは、作ろうとしないからだ」と修理改良に乗出した。故障を克服し自信を得た小平浪平はモーターの国産化を決意し、1910年久原房之助を口説いて出資金を引出し現日立市に「日立製作所」創業(企業名より地名が先)、交通不便な僻地で工場も掘立小屋同然だったが、帝大教授陣を抱込んで倉田主税(2代目社長)・駒井健一郎(3代目社長)ら優秀な技術者を獲得し、見習工養成所(現日立工業専修学校)も開設した。設備も経験も不足するなか国産初の大型電動機製造に成功した日立製作所は、創意工夫で技術力を高めつつ発電設備・電動機市場に割安な国産製品を浸透、大物工場の全焼で小平浪平は経営危機に直面したが、翌1920年久原房之助義兄の鮎川義介が経営難の久原財閥を承継し窮地を脱した。「日産コンツェルン」に再編された日立製作所は成長を加速、電気機関車製造に進出し、小平浪平が「日立精神を守る」と製造拠点を留めたことで関東大震災を免れ東芝などが壊滅的被害を蒙るなか復興需要で急伸、日中戦争に伴う軍需景気と日産の満州重工業開発に乗り一流重機メーカーへ発展を遂げた。第二次大戦後、小平浪平は公職追放に遭い、1951年相談役で復帰したが世襲経営を否定し「日立製作所がおれの論文であり、記念だよ。ほかに何もいらぬ」と言残し同年77歳で世を去った。

1874
年
栃木市都賀町合戦場の豪農小平惣八の次男に小平浪平が出生
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1891
年
久原房之助(藤田伝三郎の甥)が井上馨の命で森村組から藤田組へ移籍し小坂鉱山(秋田県鹿角郡小坂町)の鉱山長となる
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1901
年
小坂鉱山の銀産出量が日本一となる
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1903
年
久原房之助が藤田組退社
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1904
年
小平浪平が外国依存に反発し藤田組小坂鉱山を退社、広島水力電気(現中国電力)に転職
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1905
年
大倉喜八郎が陸軍長州閥に追随し大陸進出を本格化させ本渓湖煤鉄公司を設立
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1905
年
久原房之助が井上馨の援助で赤沢銅山(茨城県)を買収、日立鉱山へ改称し久原鉱業所開業
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1905
年
小平浪平が東京電燈(現東京電力)へ転職し送電課長となる
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1906
年
小平浪平が久原房之助の久原鉱業所日立鉱山へ転職し工作課長となる
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1908
年
岩崎弥之助死去
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1910
年
小平浪平の日立製作所が国産初の5馬力誘導電動機を製造
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1910
年
小平浪平が日立製作所内に見習工養成所(現日立工業専修学校)開設
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1911
年
小平浪平が日立鉱山から独立し久原鉱業所日立製作所となる
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1912
年
明治天皇が崩御し大正天皇が即位
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1912
年
久原房之助が久原鉱業所(JXホールディングス・JX日鉱日石金属の前身)を設立し社長就任
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1914
年
大隈重信政府が日英同盟を名分にドイツに宣戦布告し南洋諸島・山東省青島を占領
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1915
年
井上馨死去、久原房之助は親分を喪う
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1915
年
大戦景気により東京株式市場暴騰
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1918
年
小平浪平の日立製作所が本社機能を東京へ移転
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1919
年
小平浪平の日立製作所で製造拠点の日立大物工場が全焼し経営危機
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1920
年
小平浪平の日立製作所が鮎川義介の日産傘下で再編され株式会社へ改組
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1920
年
小平浪平の日立製作所が電気機関車製造に着手
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1921
年
神戸三菱・川崎両造船所ストライキ(戦前最大規模の労働争議)
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1924
年
小平浪平の日立製作所が大型電気機関車「ED15」を完成させ翌年鉄道省へ納入
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1926
年
大正天皇が崩御し昭和天皇が即位
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1926
年
小平浪平の日立製作所が自社製品で初めて扇風機をアメリカへ輸出
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1928
年
日本産業株式会社に改組し証券取引所に株式公開
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1928
年
八木秀次東北帝大教授がテレビアンテナの原型「八木アンテナ」を開発、日本では理解されないが欧米の軍隊で採用が進む
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1929
年
田中義一死去、久原房之助は盟友を喪う
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1931
年
渋沢栄一死去
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1933
年
ナチスのヒトラーがドイツ首相就任
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1933
年
塘沽停戦協定締結
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1935
年
石原莞爾が参謀本部作戦課長就任、陸軍中枢の指導的地位に就く
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1935
年
ナチス・ドイツが再軍備を宣言
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1935
年
豊田喜一郎の豊田自動織機製作所自動車部が「A1型乗用車」「G1型トラック」の試作に成功
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1937
年
日本軍が国民政府の首都南京を占領
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1937
年
日本軍が北京・天津・上海を攻略(第二次上海事変)
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1937
年
近衛文麿内閣が統制経済推進のため企画院を開設
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1938
年
陸軍が豊田喜一郎のトヨタ自動車工業・鮎川義介の日産自動車に軍用トラック増産を要請
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1939
年
ドイツ軍がポーランド侵攻、英仏が独に宣戦布告し第二次世界大戦勃発
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1942
年
日本軍が香港・マニラ・シンガポールを攻略
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1943
年
ムッソリーニのイタリアが早々に連合国に降伏
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1943
年
藤原銀次郎国務大臣の招聘で鮎川義介・五島慶太・鈴木貞一らが東條英機内閣の顧問に就任
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1944
年
ブレトン・ウッズ協定、金本位制に基づく対ドル固定相場制の導入
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1945
年
ドイツが連合国に降伏
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1945
年
玉音放送
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1945
年
鮎川義介がA級戦犯容疑で逮捕され巣鴨拘置所に20ヶ月間拘留
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1946
年
鮎川義介の日産コンツェルンが財閥指定を受ける
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1947
年
井植歳男(松下幸之助の義弟)がGHQ対策のため松下電器産業を退社し三洋電機創業(自転車用発電ランプ事業を承継)
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1947
年
石橋正二郎の日本タイヤ・石橋徳次郎の日本ゴムが株式交換で資本および経営を峻別し財閥解体を免れる
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1947
年
鮎川義介が不起訴釈放
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1947
年
公職追放により小平浪平ら日立製作所首脳が総退陣、後任社長に倉田主税が就任
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1949
年
ドッジ・ライン(GHQによる超緊縮財政政策)が深刻な反動デフレを引起し日本産業界は壊滅に瀕す
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1949
年
中島飛行機技術者が設立した「たま電気自動車」(プリンス自動車工業へ改称)に石橋正二郎が出資し会長就任
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1951
年
公職追放解除、小平浪平が日立製作所に復帰し相談役就任
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1951
年
小平浪平が死去(享年77)
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久原房之助
大風呂敷のボス
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鮎川義介
久原の義兄・新ボス
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藤田伝三郎
久原の叔父
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藤田文子
資金繰りの恩人
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藤田小太郎
藤田伝三郎の甥で同郷人
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井上馨
久原の親分
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渋沢栄一
井上派財界人
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原敬
井上の義娘婿
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田中義一
久原の盟友
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鳩山一郎
久原の同志
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後藤新平
長州系政治家
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中島知久平
久原の政敵・中島飛行機創業者
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大倉喜八郎
長州系武器商人
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渋沢元治
学友
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渋沢栄一
元治の叔父
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村井弦斎
恩師にして食道楽仲間
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大隈重信
食道楽仲間
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鈴木三郎助
食道楽仲間
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岩崎弥之助
食道楽仲間
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豊田佐吉
偉大な発明家
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豊田喜一郎
トヨタ創業者
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石橋正二郎
ブリジストン創業者
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出光佐三
出光興産創業者
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早川徳次
シャープ創業者
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松下幸之助
松下電器創業者
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井植歳男
三洋電機創業者
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井深大
ソニー創業者
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盛田昭夫
ソニー創業者
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御手洗毅
キヤノン創業者
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本田宗一郎
ホンダ創業者
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村田昭
村田製作所創業者
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小林一三
阪急創業者
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黒田善太郎
コクヨ創業者・DNA繋がり
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倉田主税
日立2代目
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駒井健一郎
日立3代目
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大西定彦
日立副社長
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