
こばやし いちぞう
小林 一三
1873年~1957年
90
点
沿線住民の生活を丸抱えする私鉄経営モデルを創始した元祖「鉄道王」にして大衆消費社会のパイオニア、現在も同族経営で一家繁栄する阪急東宝グループの創業者
同じ時代の人物

基礎点
80
点
小林一三は、鉄道・宅地造成・商業・娯楽施設の一体開発により沿線住民の生活を丸抱えする「私鉄経営モデル」で阪急東宝グループを築いた大衆消費社会のパイオニア、政商・軍閥ばかりの明治企業家で異彩を放つ存在である。甲州屈指の素封家に生れた小林一三は慶應義塾へ進み小説家を志すも挫折、三井銀行でヤル気の無い社会人となったが、大阪支店長の岩下清周との出会いで運命が一変、北浜銀行を創設した岩下の勧誘で設立間もない箕面有馬電気軌道の経営者となった。経営難の敗戦処理を託された小林一三だが、当時斬新なパンフレットで事業の将来性と「田園趣味に富める楽しき郊外生活」を謳い、甲州財閥を口説き資金調達に成功、現在の宝塚本線・箕面線の開業に漕ぎ着けると、沿線の土地買収と宅地造成で巨利を博し阪神急行電鉄へ改称した(→阪急電鉄)。さらに「阪急沿線の分譲住宅に住み、買物は阪急百貨店、レジャーも阪急宝塚で」という着想を得た小林一三は、終点の宝塚に宝塚新温泉を開設し唱歌隊(→宝塚歌劇団)で集客に注力、始点の大阪梅田にはターミナルビルを建てて阪急梅田百貨店を開業し、沿線土地の付加価値を膨らませつつ新規事業を開拓した。「鉄道王」小林一三の私鉄経営モデルは、五島慶太の東急・堤康次郎の西武・根津嘉一郎の東武らに踏襲され鉄道・レジャー産業発展の原動力となった。阪急百貨店は支店網を広げ全国ブランドへ成長し、数寄者の小林一三は温泉座興で始めた宝塚少女歌劇に巨費を投じ宝塚大劇場・東京宝塚劇場(略して東宝)・宝塚音楽歌劇学校を創設、帝国劇場など日比谷一帯の劇場も傘下に収め浅草の松竹と東京興行界を二分するに至り映画配給でも成功を収めた。ホテル事業を創業し(阪急阪神第一ホテルグループ)阪急ブレーブス・阪急西宮球場も作った小林一三は63歳で社業を退いたが、財界重鎮として東京電燈(東京電力)の経営再建や昭和肥料(昭和電工)設立に働き、第二次近衛文麿内閣の商工大臣も引受けた。第二次大戦後、小林一三は幣原喜重郎内閣に入閣したが公職追放に遭い、東宝社長に復帰し阪急東宝グループを同族経営を固めたあと84歳で永眠した。
10
点
平和産業ゆえか財閥解体を免れた阪急東宝グループは第二次大戦後の大衆消費社会で大発展を遂げ、小林一三の没後60年を経ても直系子孫による同族経営が円満に続いている。好き放題の事業で大成功を収めた小林一三は、死してなお最高の幸運を享受しているといえよう。なお阪急電鉄は、三男の小林米三から養子の小林公平へ受継がれ、公平の長男で小林一三の曾孫にあたる小林公一が常務取締役(宝塚歌劇団理事長を兼務)に就いている。東宝は、小林一三の次男で婿養子に出た松岡辰郎が承継し、嫡流の松岡功・松岡宏泰へ社長が受継がれており、テニスプレーヤーからテレビタレントとなった松岡修造は宏泰の弟である。

1873
年
甲斐韮崎の豪農小林甚八の嫡子に小林一三が出生
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1876
年
三井銀行および三井物産設立
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1888
年
小林一三が慶應義塾に入学し「童子寮」で寄宿舎生活
もっと見る
もっと見る
1889
年
東海道本線が全通(新橋-神戸間)
もっと見る
1890
年
東京・横浜で電話サービス開始
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1897
年
岩下清周が北浜銀行設立
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1901
年
福澤諭吉死去
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1907
年
岩下清周の勧誘で小林一三が三井銀行を退社するが株価暴落で証券会社設立計画が頓挫
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1910
年
小林一三の箕面有馬電気軌道が宝塚本線・箕面線(梅田-宝塚間、石橋-箕面間)開業
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1911
年
小林一三の箕面有馬電気軌道が宝塚新温泉開業
もっと見る
もっと見る
1912
年
明治天皇が崩御し大正天皇が即位
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1914
年
北浜銀行が倒産し頭取の岩下清周が逮捕される
もっと見る
もっと見る
1915
年
井上馨死去
もっと見る
1915
年
大戦景気により東京株式市場暴騰
もっと見る
1915
年
全国高校野球大会が始まる
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1918
年
小林一三の箕面有馬電気軌道が阪神急行電鉄へ社名変更
もっと見る
1918
年
小林一三の宝塚少女歌劇団が東京帝国劇場初公演
もっと見る
1918
年
渋沢栄一の後援を得て五島慶太が田園都市株式会社(現東京急行電鉄)設立
もっと見る
1918
年
阪神急行電鉄の小林一三が五島慶太・田園都市(東急)の鉄道・宅地造成事業を支援
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1919
年
小林一三の阪神急行電鉄が宝塚音楽歌劇学校創立
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1920
年
小平浪平の日立製作所が鮎川義介の日産傘下で再編され株式会社へ改組
もっと見る
1920
年
小林一三の阪神急行電鉄が神戸本線 (十三- 神戸間)開業
もっと見る
1920
年
小林一三が阪急梅田ビルに白木屋百貨店を招致し洋食店「阪急食堂」開業(阪急百貨店創業)
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1921
年
神戸三菱・川崎両造船所ストライキ(戦前最大規模の労働争議)
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1924
年
小林一三が宝塚市の現在地に宝塚大劇場を建設
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1925
年
白木屋の契約満了に伴い小林一三が阪急梅田ビルの百貨店を直営の「阪急マーケット」へ切替え
もっと見る
1925
年
野間清司の大日本雄弁会(現講談社)が大衆誌『キング』を創刊し150万部を記録(1957年廃刊)
もっと見る
1926
年
大正天皇が崩御し昭和天皇が即位
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1927
年
小林一三が阪神急行電鉄の専務から社長へ昇格
もっと見る
1928
年
小林一三を世に出した岩下清周が死去
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1928
年
八木秀次東北帝大教授がテレビアンテナの原型「八木アンテナ」を開発、日本では理解されないが欧米の軍隊で採用が進む
もっと見る
1929
年
小林一三が「阪急マーケット」を大幅増改築し「阪急百貨店」開業
もっと見る
1929
年
小林一三の阪神急行電鉄が六甲山ホテル開業(阪急阪神第一ホテルグループ創業)
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1932
年
小林一三が株式会社東京宝塚劇場(東宝)を設立
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1934
年
小林一三が阪神急行電鉄の社長を退き会長就任
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1935
年
石原莞爾が参謀本部作戦課長就任、陸軍中枢の指導的地位に就く
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1936
年
小林一三が「阪急職業野球団」を結成(→阪急ブレーブス→オリックス・バファローズ)
もっと見る
1936
年
小林一三が阪神急行電鉄会長を辞任
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1937
年
阪神急行電鉄が阪急西宮球場開設(現西宮スタジアム)
もっと見る
1937
年
小林一三が東宝映画株式会社(東宝)設立
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1937
年
日本軍が北京・天津・上海を攻略(第二次上海事変)
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1937
年
近衛文麿内閣が統制経済推進のため企画院を開設
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1938
年
阪神急行電鉄が東京新橋に第一ホテル開業
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1939
年
ドイツ軍がポーランド侵攻、英仏が独に宣戦布告し第二次世界大戦勃発
もっと見る
1939
年
企画院事件
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1941
年
企画院事件で小林一三商工相と岸信介商工次官が対立し両者辞任(後任商工相は豊田貞次郎)
もっと見る
1941
年
小林一三が貴族院議員に勅撰される(~1946)
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1942
年
日本軍が香港・マニラ・シンガポールを攻略
もっと見る
もっと見る
1942
年
阪神急行電鉄が関西配電(関西電力の前身)に電灯電力供給事業を譲渡
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1943
年
ムッソリーニのイタリアが早々に連合国に降伏
もっと見る
1943
年
阪神急行電鉄が京阪電気鉄道を合併し京阪神急行電鉄に社名変更
もっと見る
1943
年
小林一三の東京宝塚劇場と東宝映画が合併し東宝株式会社発足
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1945
年
ドイツが連合国に降伏
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1945
年
玉音放送
もっと見る
1945
年
東久邇宮稔彦王内閣(公家)発足
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1945
年
幣原喜重郎内閣(外務官僚・従米路線)発足、小林一三が国務大臣兼戦災復興院総裁就任
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1946
年
小林一三が公職追放を受ける
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1947
年
井植歳男(松下幸之助の義弟)がGHQ対策のため松下電器産業を退社し三洋電機創業(自転車用発電ランプ事業を承継)
もっと見る
1947
年
過度経済力集中排除法(財閥解体の施行細則)施行
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1949
年
ドッジ・ライン(GHQによる超緊縮財政政策)が深刻な反動デフレを引起し日本産業界は壊滅に瀕す
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
もっと見る
1953
年
テレビ放送開始
もっと見る
もっと見る
1957
年
小林一三が死去(享年84)
もっと見る

福澤諭吉
大師匠
もっと見る
岩下清周
出世の恩人
もっと見る
中上川彦次郎
岩下の宿敵
もっと見る
松永安左エ門
慶應同窓の親友
もっと見る
犬養毅
慶應の大先輩
もっと見る
武藤山治
慶應同窓の財界仲間
もっと見る
渋沢栄一
財界総理
もっと見る
根津嘉一郎
甲州財閥仲間
もっと見る
若尾逸平
甲州財閥仲間
もっと見る
雨宮敬次郎
甲州財閥仲間
もっと見る
五島慶太
暴れ者の弟子
もっと見る
堤康次郎
模倣者
もっと見る
早川徳次
優秀な後進
もっと見る
八木秀次
お見逸れしました
もっと見る
豊田喜一郎
トヨタ創業者
もっと見る
豊田佐吉
喜一郎の父
もっと見る
石橋正二郎
ブリジストン創業者
もっと見る
鮎川義介
日産創業者
もっと見る
小平浪平
日立創業者
もっと見る
松下幸之助
松下電器創業者・関西財界の後進
もっと見る
中内功
ダイエー創業者・関西財界の後進
もっと見る
大谷竹次郎
ライバル松竹の創業者
もっと見る
出光佐三
出光興産創業者
もっと見る
近衛文麿
入閣
もっと見る
東條英機
入閣時の陸相
もっと見る
岸信介
敵対した商工官僚
もっと見る
平沼騏一郎
企画院事件首謀者
もっと見る
幣原喜重郎
入閣
もっと見る
マッカーサー
日本の破壊者
もっと見る
ドッジ
日本経済の破壊者
もっと見る