
やすだ ぜんじろう
安田 善次郎
1838年~1921年
80
点
富山の農民から商才一つで安田財閥を築き上げ「銀行王」と称されたが、吝嗇を世間に妬まれ経営近代化と後継者育成に難を残したまま暴漢の凶刃に斃れた一代の天才実業家
同じ時代の人物

基礎点
90
点
安田善次郎は、富山の農民から一代で安田財閥を築いた天才商人である。安田善次郎は渋沢栄一と並ぶ「金融界の大立者」だが官僚経験も留学経験も無い叩き上げで、死ぬまで個人商店スタイルを貫き、三井・三菱のような政商ではないが奇跡的に四大財閥の一角に成上がった。矢野龍渓は『安田善次郎伝』で「御一新後の新日本に於て、一度も洋行せずして、大事業を成遂げた人物が唯二人ある」として大隈重信と安田善次郎の名を挙げている。家業を捨て上京した安田善次郎は丁稚奉公を経て28歳で両替商「安田商店」を創業、幕府の古金銀取扱方・新政府の太政官札引受・東京都心部の不動産買収など、維新の混乱を追風に着々と業績を伸ばし、公金取扱いの為替方指定で有力両替商に台頭した。担保に供する公債保有高と公金預り額がスパイラル的に増大するシステムを編出した安田善次郎は、官公庁や自治体の為替方指名を次々と獲得し「公金の富士」の礎を築いた。政府の動きを読んだ安田善次郎は条例改正を待って国立銀行業務に参入し第三国立銀行を設立、多くの国立銀行や政策銀行の設立に携わり、創立事務御用掛・監事として草創期の日本銀行の実務も差配した。銀行の勃興期が終わると、安田善次郎は百三銀行など経営不振行の経営再建に乗出し、金融界の救世主と感謝されつつ事業吸収を重ね「銀行王」となった。安田善次郎は浅野総一郎・大倉喜八郎・後藤新平ら新興企業家の金主となって銀行業を拡大し生命保険業にも進出、安田財閥は鉱工業主導の三井・三菱・住友と異なり純粋な金融財閥として独自の発展を遂げ、1923年から1971年まで最大資金量を誇った安田銀行(富士→みずほ)を中核に安田生命・東京建物などが連なる芙蓉グループを形成した。安田善次郎は国家予算の8分の1に相当する膨大な個人資産を築いたが、経営の近代化や多角化を嫌い「大卒者不要」と断じて「安田十家族」の同族経営に固執、「相場操縦」で第一次大戦後のバブル崩壊を仕組み巨富を積み増したが、世間に憎まれチンピラの襲撃で落命した。安田善次郎の死で安田財閥は大混乱に陥ったが、大番頭が招聘した結城豊太郎が経営近代化を断行し窮地を救った。
-10
点
三井・三菱・住友などが持株会社・コンツェルン方式を採用し財閥経営の近代化を進めるなか、安田財閥は個人商店スタイルに固執する安田善次郎のもと「関係するところの事業は、他の英雄豪傑を加えるを欲せず。権力を一身に集め、重役に任ずるものは子弟・安田善某、安田善某・・・」という有様で、一度は後継者に就いた婿養子の安田善三郎も一族不和を理由に追放され、前時代的な「のれん・前垂れ主義」の旧態を保ち続けた。独裁者の安田善次郎が暴漢の凶刃に斃れると「安田王国にはただ狼狽だけがあった」と評される大混乱に陥り、実子の安田善之助・善五郎・善雄が安田保善社・安田銀行・第三銀行のトップに就き集団指導体制を敷いたが、安田一族を含め社内には安田財閥を担うべき人材が皆無だった。古参幹部の原田虎太郎は蔵相の高橋是清に人材周旋を依頼し、人選を任された日銀総裁の井上準之助は日銀理事・大阪支店長の結城豊太郎に白羽の矢を立てた。大物財界人を期待した安田側は冷淡だったが、結城豊太郎は経営独裁を条件に安田入りし、保善社専務理事・安田銀行副頭取の要職に就いて実権を掌握すると敢然と経営近代化に乗出した。結城豊太郎は、安田善次郎の「大卒者不要」論を捨てて大学・高等専門学校卒業生の定期採用に踏切り、即戦力確保のため海外視察派遣制度や外部招聘にも注力した。事業面では傘下銀行の大合併など事業統廃合による合理化を推進、結城豊太郎の孤軍奮闘により安田財閥は関東大震災から金融恐慌へ至る波乱局面を何とか乗切った。が、「喉もと過ぎると」結城専制に不満を抱く安田一族と古参幹部が蝟集し、浅野財閥の経営危機に乗じ内部クーデターが発生、結城豊太郎は功成って追放される憂き目に遭った。安田財閥を去った結城豊太郎は、高橋是清・井上準之助ラインで官界に復帰し日本興業銀行総裁・蔵相・日銀総裁を歴任、第二次大戦後は悠々自適の余生を送り1951年に永眠した。最後の総帥として財閥解体に対処し芙蓉グループの礎を築いた安田一(安田善次郎の嫡孫)は、安田財閥を救った結城豊太郎の業績を讃え感謝の辞を贈っている。

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1848
年
安田善次郎の父安田善悦が権利株を買い富山藩の足軽身分となる
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1854
年
16歳の安田善次郎が大商人を志し江戸を目指すが挫折
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1858
年
安田善次郎が江戸に出て日本橋の玩具問屋の奉公人となる、大倉喜八郎と知合う
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1860
年
安田善次郎が日本橋の銭両替商兼鰹節商・広田屋林之助商店に奉公に入る
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1862
年
安田善次郎が日本橋の鰹節商・玉長を営む岡安長右衛門の娘チカと結婚
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1863
年
安田善次郎が文久銭投機に失敗し岡安家を離縁され広田屋も退職、スルメ商兼闇両替商で凌ぐ
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1864
年
安田善次郎が日本橋人形町に両替商兼乾物商・安田屋を開店
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1864
年
安田善次郎が刷毛製造業者の藤田弥兵衛の四女房子と結婚
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1866
年
徳川慶喜が15代将軍就任
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1867
年
徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表
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1868
年
鳥羽伏見の戦いに官軍が圧勝~戊辰戦争始まる
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1868
年
明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す
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1868
年
東海道軍筆頭参謀の西郷隆盛が勝海舟との会談で総攻撃を中止し江戸城無血開城、長州藩の大村益次郎や佐賀藩の江藤新平は薩摩藩の専断に反発
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1868
年
明治政府が徳川宗家16代当主の徳川家達に駿府70万石を与える・徳川慶喜も駿府へ移され駿河宝台院で謹慎
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1868
年
明治天皇即位礼、明治に改元
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1871
年
大倉喜八郎が建設業に進出(大成建設の前身)、新橋駅建設工事の一部を請け負う
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1872
年
安田善次郎の安田商店が本両替商に昇格
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1873
年
大倉喜八郎が欧米旅行から帰国、銀座に大倉組商会設立
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1873
年
江藤新平司法卿の追及により尾去沢銅山汚職が事件化、井上馨が大蔵大輔を引責辞任し実業界へ転じる
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1873
年
渋沢栄一が井上馨に殉じて退官し第一国立銀行総監役に就任
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1874
年
三井組・井上馨の謀略により小野組・島田組が倒産、渋沢栄一の第一国立銀行は先手を打って優良担保を確保し連鎖倒産を免れる
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1874
年
小野組・島田組倒産により金融恐慌発生、井上馨が三井組救済に奔走
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1874
年
第一国立銀行が三井組の吸収工作をシャンド裁定で撃退、指揮した渋沢栄一が三井八郎右衛門に代わり第一国立銀行頭取就任
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1876
年
三井銀行および三井物産設立
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1877
年
木戸孝允が京都にて死去(享年45)、京都霊山護国神社に葬られる
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1878
年
大久保利通が紀尾井坂で不平士族に斬殺される(享年49)
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1878
年
会頭渋沢栄一と大倉喜八郎が発起人となり東京商法会議所(商工会議所)発足、安田善次郎も議員就任
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1878
年
第一国立銀行の渋沢栄一を会頭に銀行の親睦組織「択善会」発足、安田善次郎も参加
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1878
年
第一回東京府府会議員選挙、安田善次郎・大倉喜八郎らを選出
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1879
年
安田善次郎の提唱により大阪に日本初の手形交換所開設
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1880
年
安田善次郎の安田商店が銀行業務を分離し合本安田銀行設立
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1880
年
大隈重信・三菱の切崩しで渋沢栄一ら銀行家の親睦組織「択善会」解散
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1881
年
福澤諭吉の肝煎りで明治生命保険会社設立
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1882
年
松方正義主導で日本銀行開業、安田善次郎・三野村利助が創立事務御用掛を務める
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1884
年
松方デフレによる不況深刻化
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1885
年
銀本位制に移行
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1887
年
井上馨の提唱により大倉喜八郎・渋沢栄一が帝国ホテル設立
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1887
年
大倉喜八郎・渋沢栄一・浅野総一郎らが札幌麦酒株式会社(現サッポロビール)設立
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1888
年
安田善次郎が東京火災保険(損保ジャパンの前身)の経営を承継
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1889
年
東海道本線が全通(新橋-神戸間)
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1893
年
政府が官営富岡製糸場を三井へ払下げ
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1893
年
三菱社が三菱合資会社に改組、岩崎弥之助が岩崎久弥(弥太郎の嫡子)に三菱3代目を禅譲
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1894
年
安田善次郎が矢野恒太を支配人に迎え共済五百名社を共済生命保険合資会社へ改組
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1896
年
安田善次郎の妹婿で安田銀行頭取の安田忠兵衛が死去
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1896
年
安田善次郎が東京建物株式会社設立
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1896
年
国立銀行条例に基づく営業満了に伴い安田善次郎の第三国立銀行が第三銀行へ改称
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1899
年
台湾銀行設立
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1899
年
安田善次郎が経営破綻した浪花紡績を承継
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1900
年
台湾製糖会社設立
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1902
年
安田を去った矢野恒太が第一生命保険創業
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1903
年
安田善次郎・大倉喜八郎が日本製麻株式会社(現在の帝国繊維)設立
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1904
年
安田善次郎が政府の要請により百三銀行を経営再建
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1905
年
大倉喜八郎が陸軍長州閥に追随し大陸進出を本格化させ本渓湖煤鉄公司を設立
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1905
年
久原房之助が井上馨の援助で赤沢銅山(茨城県)を買収、日立鉱山へ改称し久原鉱業所開業
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1908
年
岩崎弥之助死去
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1912
年
明治天皇が崩御し大正天皇が即位
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1912
年
浅野総一郎が安田善次郎・渋沢栄一の支援を得て東京湾沿岸部埋立事業に着手
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1913
年
安田善次郎が隠居し娘婿の安田善三郎が家督と安田財閥総帥を承継
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1914
年
大隈重信政府が日英同盟を名分にドイツに宣戦布告し南洋諸島・山東省青島を占領
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1915
年
井上馨死去
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1915
年
大戦景気により東京株式市場暴騰
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1917
年
渋沢栄一の主導により財団法人理化学研究所設立
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1917
年
大倉喜八郎が持株会社大倉組を設立し大倉土木(現大成建設)・大倉商事(1998年自己破産)・大倉鉱業の直系3社をコンツェルン化
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1919
年
安田善次郎が家督を譲った娘婿の安田善三郎を追放し長男の安田善之助を安田財閥総帥に据え集団指導体制を敷く
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1920
年
後藤新平が東京市長就任(~1923)、安田善次郎の支援を得て大規模都市開発「八億円計画」を立案
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1920
年
小平浪平の日立製作所が鮎川義介の日産傘下で再編され株式会社へ改組
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1921
年
安田善次郎・浅野総一郎が上海旅行
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安田忠兵衛
妹婿・初代大番頭
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安田善三郎
総帥後継に失敗した娘婿
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安田善之助
力量不足の実子
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安田善五郎
力量不足の実子
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安田善雄
力量不足の実子
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安田善四郎
安田幹部
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渋沢栄一
好敵手の親友
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大倉喜八郎
幕末以来の友人
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渋谷嘉助
幕末以来の友人
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石黒忠悳
軍医総監の親友
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川崎八右衛門
第三銀行仲間
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松下一郎右衛門
第三銀行仲間
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成島柳北
朝野新聞社長の親友
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山岡鉄舟
保険会員第一号
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矢野恒太
保険の権威
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浅野総一郎
惚れ込んだ同郷の財界人
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大谷米太郎
支援した同郷の財界人
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黒田善太郎
支援した同郷の財界人
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福地源一郎
晩年の困窮を救った友人
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矢野龍渓
『安田善次郎伝』著者
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福澤諭吉
「日本初生保」のライバル
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三野村利左衛門
三井の大番頭
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三野村利助
利左衛門の後継者
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中上川彦次郎
三井幹部
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益田孝
三井幹部
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團琢磨
三井幹部
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岩崎弥之助
喧嘩した三菱2代目
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川田小一郎
日銀仲間の三菱幹部
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雨宮敬次郎
支援した鉄道界の雄
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松本重太郎
救済した百三銀行創業者
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大木喬任
趣味仲間
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松方正義
財政仲間
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井上馨
財政仲間
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鮎川義介
井上親族の政商
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久原房之助
鮎川の義弟
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小平浪平
鮎川・久原の部下
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高橋是清
財政仲間
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井上準之助
財政仲間
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桂太郎
百三銀行救済仲間
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後藤新平
財政仲間
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小林一三
阪急の奇才
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結城豊太郎
死後の助っ人外人
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豊田佐吉
力織機発明家
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