
しぶさわ えいいち
渋沢 栄一
1840年~1931年
100
点
徳川慶喜の家臣から欧州遊学を経て大蔵省で井上馨の腹心となり、第一国立銀行を拠点に500以上の会社設立に関わり「日本資本主義の父」と称された官僚出身財界人の最高峰
同じ時代の人物

基礎点
90
点
渋沢栄一は「日本資本主義の父」とも称される財務官僚・実業家でる。藍玉の製造販売も手掛ける武蔵の豪農に生れた渋沢栄一は、少年期から商売に親しみつつ、従兄尾高惇忠の影響で尊攘運動に身を投じ同志と共に高崎城襲撃・横浜焼打ちを企てるが頓挫し逃亡(従兄の渋沢成一郎は上野彰義隊頭取となり箱館戦争まで転戦)、一橋家重臣の平岡円四郎に拾われた。一橋家に仕官した渋沢栄一は忽ち「建白魔」となり領内の農民兵徴募や財政改革を任されて成功を収め、主君の徳川慶喜にも評価された。徳川慶喜の将軍就任に伴い幕府御家人に大出世した渋沢栄一は、パリ万国博覧会に出席する徳川昭武(慶喜実弟)の随員に選ばれる大幸運に恵まれ、維新の動乱期を優雅な外遊生活で過ごした。帰国した渋沢栄一は徳川宗家と慶喜が移された静岡に移住するも仕官は断り、石高拝借金の合本組織運用を提案し静岡商法会所の頭取となって資本主義の実践に着手した。がその矢先、渋沢栄一は大蔵大輔の大隈重信に突然スカウトされ新政府に出仕、改正掛の革新運動を牽引し、岩倉使節団に出た大久保利通に代わり大蔵省のトップに就いた井上馨の腹心となり、銀座煉瓦街建設、富岡製糸場開設、第一国立銀行設立・国立銀行条例制定など洋化政策を主導した。が、岩倉使節団が帰国すると大蔵省は再び大久保利通の掌中に帰し、井上馨は尾去沢銅山汚職事件で引責辞任、渋沢栄一は井上に殉じ実業界へ転じた。第一国立銀行に天下った渋沢栄一は、三井組の吸収工作撃退で実権を掌握して頭取に就き本格的な財界活動に入った。西南戦争後、薩長藩閥と大隈重信=三菱の対立が激化し、井上馨に連なる渋沢栄一は矢面に立たされ窮地に陥ったが、明治十四年政変で薩長藩閥が勝利を収め政府から大隈一派を追放、「三菱海上王国」も共同運輸会社に吸収された。以降の渋沢栄一は第一国立銀行を拠点に順風満帆の活躍を続け財界人で唯一子爵を受爵、自ら60社近い事業を立上げ、東京証券取引所・東京瓦斯・東京海上火災保険・王子製紙・東京急行電鉄・秩父セメント・秩父鉄道・京阪電気鉄道・キリンビール・サッポロビール・東洋紡績・帝国ホテルなど500社以上の設立に関与した。
10
点
渋沢栄一は、農民の出自ながら御三卿一橋家で頭角を現し主君徳川慶喜の将軍就任により幕府御家人に大出世、明治維新後は新進気鋭の大蔵官僚となって洋化政策を牽引し、井上馨に殉じ実業界へ転じると実力で財界の第一人者に上り詰めた。薩長藩閥の庇護を受けつつも己の信念を貫き且つ潰されず大成したのが渋沢栄一の凄いところで、終生兄事した井上馨とは三井による小野組潰しや第一国立銀行吸収工作で対立し、新政府出仕の恩人である大隈重信とは完全な敵対関係となり共同運輸首脳として「三菱海上王国」との死闘を制した。渋沢栄一は、岩崎弥太郎や安田善次郎のような純然たる企業家ではないが、官僚出身ながら実務能力と覇気を兼備え、世襲財閥による開発独裁を嫌い資本の分散(株式会社)を説く高い見識を持った偉材であった。

1840
年
武蔵榛沢郡血洗島村の豪農渋沢市郎右衛門の嫡子に渋沢栄一が出生
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1861
年
渋沢栄一が従兄の渋沢成一郎と共に2ヶ月間江戸遊学
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1863
年
渋沢栄一が再び江戸遊学し(4ヶ月間)一橋家臣の平岡円四郎と出会う
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1863
年
将軍徳川家茂が二度目の上洛
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1863
年
尾高塾生の高崎城襲撃・横浜焼打ち計画が頓挫、逃亡した渋沢栄一は一橋家臣の平岡円四郎を頼り江戸から京都へ上る
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1864
年
渋沢栄一が一橋家の命で西郷隆盛と会見し薩摩藩士折田要蔵の洋式兵学塾に内弟子として潜入
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1864
年
平岡円四郎の推挙により渋沢栄一・渋沢成一郎が一橋家に仕官、徳川慶喜の引見を賜る
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1864
年
渋沢栄一が一橋家の人選御用役に任じられ関東で農民兵募集に従事
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1864
年
平岡円四郎が京都で暗殺される
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1864
年
渋沢栄一が自ら募った新兵を率いて上京し一橋家の御用談役(御目見え身分の応接係)就任
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1865
年
渋沢栄一が一橋家に大規模農民兵部隊の徴募を建白し歩兵取立御用係に採用され一橋領内を巡歴、成功により徳川慶喜から褒美を賜る
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1866
年
大村益次郎が浜田城制圧
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1866
年
将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念
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1866
年
徳川慶喜が15代将軍就任
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1866
年
徳川慶喜の将軍就任に伴い渋沢栄一が幕府御家人に列すが閑職の陸軍奉行所支配調役に左遷される
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1866
年
孝明天皇崩御
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1867
年
徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表
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1867
年
朝廷が幕府の大政奉還を勅許
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1867
年
大阪城に退去した徳川慶喜が辞官納地を拒否、諸外国に徳川政権による外交継続を宣言
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1867
年
渋沢栄一がパリ万国博覧会に出席する徳川昭武(慶喜実弟)の随員に選ばれ欧州遊歴へ出立
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1867
年
睦仁親王(明治天皇)即位
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1868
年
鳥羽伏見の戦いに官軍が圧勝~戊辰戦争始まる
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1868
年
明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す
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1868
年
上野彰義隊結成、渋沢栄一従兄の渋沢成一郎が頭取に就任し尾高惇忠も参加
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1868
年
渋沢栄一従兄の渋沢成一郎・尾高惇忠が上野彰義隊を離脱し箱根ヶ崎に振武軍を結成
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1868
年
東海道軍筆頭参謀の西郷隆盛が勝海舟との会談で総攻撃を中止し江戸城無血開城、長州藩の大村益次郎や佐賀藩の江藤新平は薩摩藩の専断に反発
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1868
年
飯能市能仁寺に籠る渋沢成一郎・尾高惇忠の振武軍が潰走、渋沢平九郎(尾高の実弟で渋沢栄一の跡目養子)が自決、成一郎は函館戦争へ
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1868
年
明治政府が徳川宗家16代当主の徳川家達に駿府70万石を与える・徳川慶喜も駿府へ移され駿河宝台院で謹慎
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1868
年
明治天皇即位礼、明治に改元
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1868
年
盛岡藩に続き庄内藩が降伏、東北戦争終結
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1868
年
徳川昭武・渋沢栄一の欧州遊歴一行が新政府の命により渋々帰国
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1868
年
渋沢栄一が静岡へ移住し徳川慶喜に拝謁するが静岡藩の出仕要請を謝辞
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1870
年
松方正義が大蔵省入省
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1871
年
大倉喜八郎が建設業に進出(大成建設の前身)、新橋駅建設工事の一部を請け負う
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1871
年
渋沢成一郎が赦免出獄、従弟の渋沢栄一の引きで尾高惇忠と共に政府に出仕し富岡製糸場の現場監督に就く
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1872
年
陸奥宗光が大蔵省租税頭・地租改正局長就任(井上馨に次ぐ地位)
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1873
年
大蔵省・渋沢栄一の主導により三井組・小野組・島田組の出資で抄紙会社(王子製紙の前身)設立
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1873
年
大倉喜八郎が欧米旅行から帰国、銀座に大倉組商会設立
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1873
年
岩倉使節団が帰国
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1873
年
江藤新平司法卿の追及により尾去沢銅山汚職が事件化、井上馨が大蔵大輔を引責辞任し実業界へ転じる
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1873
年
渋沢栄一が井上馨に殉じて退官し第一国立銀行総監役に就任
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1874
年
横浜の蚕卵紙相場が暴落、渋沢栄一が政府資金による買上げ・焼却処分で終息させる
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1874
年
三井組・井上馨の謀略により小野組・島田組が倒産、渋沢栄一の第一国立銀行は先手を打って優良担保を確保し連鎖倒産を免れる
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1874
年
小野組・島田組倒産により金融恐慌発生、井上馨が三井組救済に奔走
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1874
年
第一国立銀行が三井組の吸収工作をシャンド裁定で撃退、指揮した渋沢栄一が三井八郎右衛門に代わり第一国立銀行頭取就任
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1876
年
三井銀行および三井物産設立
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1877
年
渋沢栄一が三井物産社長の益田孝を伴い上海出張、長崎で大倉喜八郎と出会う
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1877
年
木戸孝允が京都にて死去(享年45)、京都霊山護国神社に葬られる
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1878
年
大久保利通が紀尾井坂で不平士族に斬殺される(享年49)
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1878
年
会頭渋沢栄一と大倉喜八郎が発起人となり東京商法会議所(商工会議所)発足
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1878
年
第一国立銀行の渋沢栄一を会頭に銀行の親睦組織「択善会」発足
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1879
年
伊藤博文の要請により井上馨が外務卿就任
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1880
年
西南戦争後の財政再建策を巡り渋沢栄一・井上馨・薩長閥と岩崎弥太郎・大隈重信の陣営が対立
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1880
年
渋沢栄一らが郵便汽船三菱会社に対抗すべく風帆船会社を設立するが大隈重信・岩崎弥太郎に切崩され経営は難航
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1880
年
大隈重信・三菱の切崩しで渋沢栄一ら銀行家の親睦組織「択善会」解散
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1881
年
福澤諭吉の肝煎りで明治生命保険会社設立
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1881
年
横浜の生糸業者が外国商館と対立、渋沢栄一が解決に奔走
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1882
年
松方正義主導で日本銀行開業、安田善次郎・三野村利助が創立事務御用掛を務める
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1884
年
松方デフレによる不況深刻化
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1885
年
銀本位制に移行
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1886
年
井上馨が内閣臨時建築局を設置し官庁集中計画始動(井上失脚により頓挫)
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1887
年
井上馨の提唱により大倉喜八郎・渋沢栄一が帝国ホテル設立
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1887
年
大倉喜八郎・渋沢栄一・浅野総一郎らが札幌麦酒株式会社(現サッポロビール)設立
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1888
年
榎本武揚に代わって井上馨が農商務大臣就任、外務省を追放された原敬を農商務省参事官に迎える
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1893
年
政府が官営富岡製糸場を三井へ払下げ
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1893
年
三菱社が三菱合資会社に改組、岩崎弥之助が岩崎久弥(弥太郎の嫡子)に三菱3代目を禅譲
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1894
年
井上馨に代わって野村靖が内務大臣就任
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1896
年
国立銀行条例による営業が満了し渋沢栄一の第一国立銀行が株式会社第一銀行へ改組
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1897
年
陸奥宗光死去
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1899
年
台湾銀行設立
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1900
年
台湾製糖会社設立
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1901
年
井上馨に組閣大命が下るが渋沢栄一の入閣拒否で頓挫
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1905
年
大倉喜八郎が陸軍長州閥に追随し大陸進出を本格化させ本渓湖煤鉄公司を設立
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1905
年
久原房之助が井上馨の援助で赤沢銅山(茨城県)を買収、日立鉱山へ改称し久原鉱業所開業
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1908
年
岩崎弥之助死去
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1912
年
明治天皇が崩御し大正天皇が即位
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1912
年
久原房之助が久原鉱業所(JXホールディングス・JX日鉱日石金属の前身)を設立し社長就任
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1914
年
大隈重信政府が日英同盟を名分にドイツに宣戦布告し南洋諸島・山東省青島を占領
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1915
年
井上馨死去
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1915
年
大戦景気により東京株式市場暴騰
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1917
年
渋沢栄一の主導により財団法人理化学研究所設立
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1917
年
大倉喜八郎が持株会社大倉組を設立し大倉土木(現大成建設)・大倉商事(1998年自己破産)・大倉鉱業の直系3社をコンツェルン化
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1918
年
渋沢栄一の後援を得て五島慶太が田園都市株式会社(現東京急行電鉄)設立
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1920
年
小平浪平の日立製作所が鮎川義介の日産傘下で再編され株式会社へ改組
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1920
年
渋沢栄一が子爵に昇叙
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1921
年
神戸三菱・川崎両造船所ストライキ(戦前最大規模の労働争議)
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1921
年
原敬首相が東京駅で暴漢に刺殺される(享年65)、高橋是清が政友会総裁を継ぐ
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1921
年
大河内正敏が理化学研究所3代目所長に就任
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1922
年
陸軍長州閥を築いた山縣有朋が政敵の伊藤博文・大隈重信・板垣退助や子飼の桂太郎・寺内正毅の誰よりも長寿を保ち84歳で死去
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1922
年
渋沢敬三(渋沢栄一の嫡孫)が木内登喜子(岩崎弥太郎の孫)と結婚
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1926
年
大正天皇が崩御し昭和天皇が即位
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1931
年
渋沢栄一が死去(享年91)
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徳川慶喜
主君
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徳川昭武
慶喜の弟にして洋行の手掛かり
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平岡円四郎
暗殺された大恩人
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黒川嘉兵衛
平岡後任の上司
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原市之烝
暗殺された良き上司
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勝海舟
二股者
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大久保一翁
慶喜の側近
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尾高惇忠
従兄にして側近
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渋沢成一郎
従兄にして側近
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渋沢元治
大学者になった甥
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新門辰五郎
町方火消の義侠
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木戸孝允
自派のドン
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大隈重信
政府仕官の恩人転じて政敵
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井上馨
終生の親分
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伊藤博文
井上の盟友
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山縣有朋
井上の悪友
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原敬
井上の義娘婿
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陸奥宗光
役人仲間
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前島密
役人仲間
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松方正義
役人仲間
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大久保利通
対立した上司
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西郷隆盛
井上の政敵
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黒田清隆
薩摩閥の重鎮
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板垣退助
井上の政敵
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江藤新平
井上の宿敵
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副島種臣
井上の政敵
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三条実美
お公家さん
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高橋是清
財界の偉材
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福澤諭吉
文明開化の先達
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古河市兵衛
小野組倒産後古河財閥を築いた盟友
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大倉喜八郎
大倉財閥を築いた盟友
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浅野総一郎
浅野財閥を築いた盟友
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三井八郎右衛門
三井の主人
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三野村利左衛門
三井の総帥にして好敵手
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三野村利助
聡明な利左衛門の後継者
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中上川彦次郎
三井幹部
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益田孝
三井幹部
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團琢磨
三井幹部
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鮎川義介
井上の親戚
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久原房之助
井上の親戚
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小平浪平
鮎川・久原の部下
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石坂泰三
井上派財界人
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藤田伝三郎
井上派財界人
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小野善助
三井に潰された財界仲間
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島田八郎左衛門
三井に潰された財界仲間
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岩崎弥太郎
憤死したライバル
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岩崎弥之助
三菱2代目
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岩崎久弥
三菱3代目
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岩崎小弥太
三菱4代目
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安田善次郎
財界仲間
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川崎八右衛門
財界仲間
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福地源一郎
財界の同志
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小林一三
阪急の奇才
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服部金太郎
財界仲間
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豊田佐吉
自動織機発明家
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豊田喜一郎
佐吉の息子
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早川徳次
シャープの奇才
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シャンド
救いの神
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アレクサンダー・フォン・シーボルト
知恵袋
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ハインリッヒ・フォン・シーボルト
知恵袋
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