
いのうえ かおる
井上 馨
1836年~1915年
60
点
高杉晋作の長州維新に貢献、維新後は貪官汚吏の筆頭格と批判されつつも親友伊藤博文の政策を支え三井財閥・渋沢栄一・原敬らを援助した明治政財界の重鎮
同じ時代の人物

基礎点
80
点
井上馨の政治的業績というと鹿鳴館外交と条約改正失敗くらいしか世に記憶されていないが、伊藤博文の裏方として政治活動を支え続けた功績は重要であった。井上馨は常に伊藤博文の側に立って内地優先・対外協調路線を堅持し、切所の日露戦争では伊藤と共に日露協商政策を推進しつつ戦時財政の総監督役として日銀の高橋是清を抜擢し膨大な戦費調達を成功へ導いた。伊藤博文没後の井上馨は、元老会議・長州閥のリーダーとして政界調整に奔走し、第一次山本権兵衛内閣や第二次大隈重信内閣の成立を主導した。一方、井上馨は伊藤博文と対立する山縣有朋陣営とも気脈を通じ、三井財閥など財界への橋渡し役を務めつつ、山縣直系の桂太郎と縁戚を結んで長州閥内の調整役を演じた。また志士時代から経済に明るい井上馨は、長州閥の権威を背景に黎明期の財界で縦横に腕を振るい、西郷隆盛が「三井の番頭」と揶揄した如く三井財閥の三野村利左衛門・中上川彦次郎・益田孝らはもちろん、久原房之助・鮎川義介・藤田伝三郎・大倉喜八郎ら長州系政商、渋沢栄、石坂泰三など錚々たる財界人を支援、貪官汚吏の代表格と批判されつつも財界重鎮として終生絶大な権勢を保持した。さらに、これも高杉晋作の陰に隠れあまり知られていないが、井上馨が親友の伊藤博文と共に孤軍奮闘の高杉を支え長州維新に果した役割も見逃せない。第一次長州征討に際し佐幕恭順派に闇討ちされた井上馨は全身を切り刻まれ瀕死の重傷を負ったが、自害を思い留まり奇跡的に蘇生すると功山寺で挙兵した高杉晋作に従い尊攘派の政権奪回に大貢献した。
-20
点
井上馨は大変な世話好きで、義娘婿の原敬、縁戚の鮎川義介、腹心の渋沢栄一、三井財閥の三野村利左衛門・中上川彦次郎・益田孝をはじめ、久原房之助・石坂泰三・藤田伝三郎・高橋是清・西園寺公望ら多くの政財界人を損得抜きで援助した。井上馨は「雷公」「雷親父」と渾名された癇癪持ちながらさっぱりした憎めない性格だったが、公私混同が誰よりも激しく「貪官汚吏筆頭格」の批判もやむなしであった。特に三井財閥との深い癒着は公然の事実であり、西郷隆盛が呼んだ「三井の番頭」というよりは「三井の首脳」というべき関係であった。ただ程度の差はあれ、維新期における政財界の癒着は井上馨と長州閥に限ったことではなく、薩摩閥では黒田清隆・五代友厚が開拓使官有物払下げ事件を引起し、民権派へ転じ薩長閥を攻撃した大隈重信も岩崎弥太郎の三菱とズブズブで多大な恩恵を受けている。さらにいえば、庇護を受けた財界の側も、政治家から資金の融通など多くの見返りを求められ、三井財閥などは井上馨や山縣有朋のせいで膨大な不良債権を抱え経営難に陥ったほどであり、単純な利益供与という関係ではなかったことにも留意すべきである。

1836
年
長州藩の中級藩士井上五郎三郎光亨の次男井上馨が周防湯田村にて出生
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1864
年
長州藩主毛利敬親から全権委任された高杉晋作が有利な条件で馬関戦争の講和を実現、高杉は政務座役に復帰するがすぐに辞任
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1864
年
井上馨が俗論党士に闇討ちされ瀕死の重症を負う
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1865
年
高杉晋作が第二次長州征討に備えるべく戦時物資調達の責任者に就任、井上馨・伊藤博文を長崎へ派遣
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1866
年
薩摩藩が幕府からの再三の出兵要請を拒否し朝廷に長州再征反対を建白
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1866
年
将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念
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1866
年
徳川慶喜が15代将軍就任
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1867
年
孝明天皇崩御
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1867
年
高杉晋作が下関にて死去(享年27)、下関郊外吉田の清水山に埋葬される
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1867
年
徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表
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1867
年
朝廷が幕府の大政奉還を勅許
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1868
年
鳥羽伏見の戦いに官軍が圧勝~戊辰戦争始まる
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1868
年
明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す
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1868
年
井上馨が九州鎮撫総督参謀・長崎製鉄所御用掛を経て大蔵大輔就任
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1868
年
伊藤博文が明治政府に徴され外国事務掛、外国事務局判事、兵庫県知事などを歴任
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1868
年
明治天皇即位礼、明治に改元
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1870
年
松方正義が大蔵省入省
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1871
年
大倉喜八郎が建設業に進出(大成建設の前身)、新橋駅建設工事の一部を請け負う
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1872
年
陸奥宗光が大蔵省租税頭・地租改正局長就任(井上馨に次ぐ地位)
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1873
年
大倉喜八郎が欧米旅行から帰国、銀座に大倉組商会設立
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1873
年
岩倉使節団が帰国
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1873
年
江藤新平司法卿の追及により尾去沢銅山汚職が事件化、井上馨が大蔵大輔を引責辞任し実業界へ転じる
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1873
年
渋沢栄一が井上馨に殉じて退官し第一国立銀行総監役に就任
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1874
年
三井組・井上馨の謀略により小野組・島田組が倒産、渋沢栄一の第一国立銀行は先手を打って優良担保を確保し連鎖倒産を免れる
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1874
年
小野組・島田組倒産により金融恐慌発生、井上馨が三井組救済に奔走
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1874
年
第一国立銀行が三井組の吸収工作をシャンド裁定で撃退、指揮した渋沢栄一が三井八郎右衛門に代わり第一国立銀行頭取就任
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1876
年
三井銀行および三井物産設立
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1877
年
木戸孝允が京都にて死去(享年45)、京都霊山護国神社に葬られる
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1877
年
井上馨がイギリス遊学、福澤諭吉門下の中上川彦次郎を随行
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1878
年
大久保利通が紀尾井坂で不平士族に斬殺される(享年49)
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1878
年
会頭渋沢栄一と大倉喜八郎が発起人となり東京商法会議所(商工会議所)発足
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1879
年
伊藤博文の要請により井上馨が外務卿就任
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1880
年
長州藩の中級藩士鮎川弥八・ナカ(井上馨の姪)の嫡子に鮎川義介誕生
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1882
年
原敬が『大東日報』辞職、井上馨の引きで外務省出仕
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1882
年
松方正義主導で日本銀行開業、安田善次郎・三野村利助が創立事務御用掛を務める
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1883
年
原敬が天津領事に大抜擢され赴任
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1884
年
松方デフレによる不況深刻化
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1885
年
銀本位制に移行
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1886
年
井上馨が内閣臨時建築局を設置し官庁集中計画始動(井上失脚により頓挫)
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1886
年
陸奥宗光が帰国、伊藤博文の引きで外務省出仕
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1887
年
井上馨の提唱により大倉喜八郎・渋沢栄一が帝国ホテル設立
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1887
年
大倉喜八郎・渋沢栄一・浅野総一郎らが札幌麦酒株式会社(現サッポロビール)設立
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1890
年
第一回帝国議会開催
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1893
年
政府が官営富岡製糸場を三井へ払下げ
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1893
年
三菱社が三菱合資会社に改組、岩崎弥之助が岩崎久弥(弥太郎の嫡子)に三菱3代目を禅譲
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1894
年
井上馨に代わって野村靖が内務大臣就任
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1897
年
陸奥宗光死去
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1897
年
朝鮮が大韓帝国と改称
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1901
年
井上馨に組閣大命が下るが渋沢栄一の入閣拒否で頓挫
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1905
年
第二次日英同盟協約締結
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1905
年
大倉喜八郎が陸軍長州閥に追随し大陸進出を本格化させ本渓湖煤鉄公司を設立
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1905
年
久原房之助が井上馨の援助で赤沢銅山(茨城県)を買収、日立鉱山へ改称し久原鉱業所開業
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1907
年
井上馨が侯爵に昇叙
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1912
年
明治天皇が崩御し大正天皇が即位
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1912
年
久原房之助が久原鉱業所(JXホールディングス・JX日鉱日石金属の前身)を設立し社長就任
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1913
年
高橋是清が大臣就任のため政友会に入党
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1914
年
大隈重信政府が日英同盟を名分にドイツに宣戦布告し南洋諸島・山東省青島を占領
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1915
年
井上馨が死去(享年79)
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高杉晋作
偉大なボス
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伊藤博文
大親友
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吉田松陰
弟子入りせず
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木戸孝允
気難しいボス
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久坂玄瑞
過激なボス
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山縣有朋
腐れ縁
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毛利敬親
殿様
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毛利元徳
若殿様
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周布政之助
自派の上司
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品川弥二郎
同郷の志士仲間
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山田顕義
同郷の志士仲間
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前原一誠
同郷の志士仲間
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赤根武人
寝返った同志
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大村益次郎
話の分かる先輩
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山尾庸三
留学仲間
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野村弥吉
留学仲間
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遠藤謹助
留学仲間
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椋梨藤太
殺されかけた
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中井弘
恋敵
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原敬
連れ子の婿
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児玉源太郎
強硬派の後輩
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桂太郎
山縣の子分にして濃い縁戚
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塙次郎
伊藤が殺した
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グラバー
出入りの武器商人
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坂本龍馬
土佐の同志
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中岡慎太郎
土佐の同志
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岩倉具視
お公家さん
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三条実美
お公家さん
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大久保利通
伊藤のボス
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西郷隆盛
「三井の番頭」っていうな
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小松帯刀
薩摩藩の同志
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黒田清隆
袴を貸した同志
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松方正義
事実上の伊藤の手下
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山本権兵衛
バックアップ
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江藤新平
宿敵
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大隈重信
伊藤のライバル転じて傀儡首相
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板垣退助
民権のカリスマ
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星亨
抱込んだ政党政治家
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陸奥宗光
伊藤の腹心
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西園寺公望
伊藤の後継者
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高橋是清
日露戦費調達役に抜擢
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渋沢栄一
愛弟子
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鮎川義介
姉の孫でバックアップ
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久原房之助
鮎川の義弟でバックアップ
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小平浪平
久原・鮎川の部下
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三井八郎右衛門
三井仲間
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三野村利左衛門
三井仲間
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三野村利助
三井仲間
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中上川彦次郎
三井仲間
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益田孝
三井仲間
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團琢磨
三井仲間
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藤田伝三郎
バックアップ
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石坂泰三
バックアップ
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大倉喜八郎
長州系武器商人
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岩崎弥太郎
三井の敵
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岩崎弥之助
三菱2代目
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安田善次郎
安田初代
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豊田佐吉
力織機発明家
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小林一三
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欧化政策の秘書
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