79 inouekaoru

いのうえ かおる

井上 馨

1836年~1915年

60

高杉晋作の長州維新に貢献、維新後は貪官汚吏の筆頭格と批判されつつも親友伊藤博文の政策を支え三井財閥・渋沢栄一・原敬らを援助した明治政財界の重鎮

同じ時代の人物

Sunhyou

基礎点

80

井上馨の政治的業績というと鹿鳴館外交と条約改正失敗くらいしか世に記憶されていないが、伊藤博文の裏方として政治活動を支え続けた功績は重要であった。井上馨は常に伊藤博文の側に立って内地優先・対外協調路線を堅持し、切所の日露戦争では伊藤と共に日露協商政策を推進しつつ戦時財政の総監督役として日銀の高橋是清を抜擢し膨大な戦費調達を成功へ導いた。伊藤博文没後の井上馨は、元老会議・長州閥のリーダーとして政界調整に奔走し、第一次山本権兵衛内閣や第二次大隈重信内閣の成立を主導した。一方、井上馨は伊藤博文と対立する山縣有朋陣営とも気脈を通じ、三井財閥など財界への橋渡し役を務めつつ、山縣直系の桂太郎と縁戚を結んで長州閥内の調整役を演じた。また志士時代から経済に明るい井上馨は、長州閥の権威を背景に黎明期の財界で縦横に腕を振るい、西郷隆盛が「三井の番頭」と揶揄した如く三井財閥の三野村利左衛門・中上川彦次郎・益田孝らはもちろん、久原房之助・鮎川義介・藤田伝三郎・大倉喜八郎ら長州系政商、渋沢栄、石坂泰三など錚々たる財界人を支援、貪官汚吏の代表格と批判されつつも財界重鎮として終生絶大な権勢を保持した。さらに、これも高杉晋作の陰に隠れあまり知られていないが、井上馨が親友の伊藤博文と共に孤軍奮闘の高杉を支え長州維新に果した役割も見逃せない。第一次長州征討に際し佐幕恭順派に闇討ちされた井上馨は全身を切り刻まれ瀕死の重傷を負ったが、自害を思い留まり奇跡的に蘇生すると功山寺で挙兵した高杉晋作に従い尊攘派の政権奪回に大貢献した。

-20

井上馨は大変な世話好きで、義娘婿の原敬、縁戚の鮎川義介、腹心の渋沢栄一、三井財閥の三野村利左衛門・中上川彦次郎・益田孝をはじめ、久原房之助・石坂泰三・藤田伝三郎・高橋是清・西園寺公望ら多くの政財界人を損得抜きで援助した。井上馨は「雷公」「雷親父」と渾名された癇癪持ちながらさっぱりした憎めない性格だったが、公私混同が誰よりも激しく「貪官汚吏筆頭格」の批判もやむなしであった。特に三井財閥との深い癒着は公然の事実であり、西郷隆盛が呼んだ「三井の番頭」というよりは「三井の首脳」というべき関係であった。ただ程度の差はあれ、維新期における政財界の癒着は井上馨と長州閥に限ったことではなく、薩摩閥では黒田清隆・五代友厚が開拓使官有物払下げ事件を引起し、民権派へ転じ薩長閥を攻撃した大隈重信も岩崎弥太郎の三菱とズブズブで多大な恩恵を受けている。さらにいえば、庇護を受けた財界の側も、政治家から資金の融通など多くの見返りを求められ、三井財閥などは井上馨や山縣有朋のせいで膨大な不良債権を抱え経営難に陥ったほどであり、単純な利益供与という関係ではなかったことにも留意すべきである。

Shijitsu

1836

長州藩の中級藩士井上五郎三郎光亨の次男井上馨が周防湯田村にて出生

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1853

ペリー来航

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1857

吉田松陰の門人が増えたため杉家邸内に塾舎を設置し(松陰神社内に現存)叔父の玉木文之進から「松下村塾」の塾名を承継

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1858

吉田松陰が野山獄に再投獄され松下村塾は廃止

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1859

吉田松陰が幕命で江戸に召喚され評定所の尋問を受ける

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1859

吉田松陰が老中間部詮勝襲撃計画を自白し江戸小塚原刑場にて斬首(享年30)、江戸に居た木戸孝允・伊藤博文らが小塚原に埋葬

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1861

和宮降嫁の勅許、薩長土の尊攘派志士が三藩主上洛を約束

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1861

長井雅楽の航海遠略策が藩論となり長州藩が公武周旋に乗出すが吉田松陰門下の木戸孝允・高杉晋作・久坂玄瑞らは猛反対

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1862

久坂玄瑞が長井弾劾運動を展開

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1862

長州藩が長井雅楽の「航海遠略策」を朝廷に建白するが老中安藤信正の失脚により公武周旋を断念、長井は失脚し木戸孝允・久坂玄瑞ら尊攘派が優勢となる

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1862

薩摩藩の島津久光が率兵江戸入りし幕政改革を断行(文久の改革)・謀臣の大久保利通と小松帯刀が暗躍、徳川慶喜を将軍後見職・松平春嶽を政治総裁職にねじ込む

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1862

長州藩が薩摩藩の公武合体運動に対抗すべく航海遠略策を放棄し破約攘夷へ転換

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1862

高杉晋作・久坂玄瑞・井上馨・伊藤博文ら長州藩士が神奈川外人襲撃を企てるが土佐藩の横槍で中止

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1862

高杉晋作・久坂玄瑞・井上馨・伊藤博文ら長州藩士がイギリス公使館焼き討ち

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1862

伊藤博文らが塙次郎を暗殺

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1863

高杉晋作・伊藤博文らが吉田松陰の遺骸を掘出し世田谷若林に改葬

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1863

長州藩が外国船を砲撃し攘夷決行(下関事件)、首謀者の久坂玄瑞は光明寺党を率い獅子奮迅の活躍

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1863

長州藩の伊藤博文・井上馨・山尾庸三・野村弥吉・遠藤謹助がイギリス留学(長州ファイブ)

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1863

八月十八日の政変~薩摩藩・会津藩が長州藩を追放し久坂玄瑞・木戸孝允・武市半平太らの破約攘夷運動が瓦解

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1864

伊藤博文・井上馨がイギリス留学から急遽帰国、横浜でオールコック英公使より藩主宛親書を授かり長州藩で不戦工作

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1864

池田屋事件

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1864

禁門の変

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1864

徳川慶喜が長州追討の勅命を得て第一次長州征討を決行

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1864

馬関戦争~英仏蘭米の四国連合艦隊が下関を攻撃し長州藩を降伏させる

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1864

長州藩主毛利敬親から全権委任された高杉晋作が有利な条件で馬関戦争の講和を実現、高杉は政務座役に復帰するがすぐに辞任

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1864

長州藩で俗論党(佐幕恭順派)が主導権を握り正義派(尊攘派)を粛清、絶望した周布政之助が山口にて自殺(享年42)、伊藤博文は力士隊を率いて功山寺入り

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1864

井上馨が俗論党士に闇討ちされ瀕死の重症を負う

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1864

長州藩恭順により第一次長州征討が停戦・征長軍全権に任じられた西郷隆盛が宥和路線を主導

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1864

高杉晋作が萩を脱出し筑前へ亡命

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1864

高杉晋作が前原一誠・中岡慎太郎の遊撃隊60人・伊藤博文の力士隊30人のみで功山寺挙兵を決行(奇兵隊の山縣有朋らは日和見)

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1865

木戸孝允が馬関開港を白紙撤回して長府藩を抑え高杉晋作・井上馨を長州へ呼戻す

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1865

徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し第二次長州征討を号令

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1865

高杉晋作が第二次長州征討に備えるべく戦時物資調達の責任者に就任、井上馨・伊藤博文を長崎へ派遣

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1865

俗論党首領の椋梨藤太が野山獄で斬首される

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1865

西郷隆盛が鹿児島へ戻り藩主父子に情勢を報告、同伴した坂本龍馬に薩長同盟の密計を託し小松帯刀主導で亀山社中を設立

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1865

長州藩が亀山社中を介して大量の洋式兵器とユニオン号を購入

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1865

西郷隆盛が下関での木戸孝允との会談をドタキャン、薩長和解工作のため黒田清隆を長州へ派遣

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1865

高杉晋作・井上馨が長州の藩論を薩長和解に纏め木戸孝允を京都へ送出す

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1865

高杉晋作率いる諸隊が大田・絵堂の戦いに勝利し正義派が長州藩の政権を奪回

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1865

高杉晋作・伊藤博文・井上馨が西欧列強を抱込むため下関開港を策動するが攘夷派に狙われ高杉は四国へ・井上は豊後別府へ逃避

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1865

禁門の変で失踪した木戸孝允が長州藩に戻り藩政を掌握

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1866

薩長同盟

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1866

上海渡航を志す高杉晋作が伊藤博文を伴い長崎へ出向、長州藩庁に無断で丙寅丸を購入

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1866

徳川慶喜の策動により将軍徳川家茂が上洛し兵6万を率いて第二次長州征討開始(四境戦争)、薩摩藩は公式に出兵を拒絶

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1866

薩摩藩が幕府からの再三の出兵要請を拒否し朝廷に長州再征反対を建白

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1866

高杉晋作が大島口奇襲で勝利

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1866

大村益次郎が浜田城制圧

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1866

高杉晋作の活躍で老中小笠原長行が守る小倉城が陥落し長州藩の勝利が決定的となる(高杉は肺結核が悪化し翌年病没)

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1866

安田善次郎が日本橋小舟町に店舗を購入、安田商店に改称し両替専業となり、幕府の古金銀回収取扱方を務める

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1866

将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念

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1866

徳川慶喜が朝廷から征長停止の勅令を獲得し幕府敗北・長州藩勝利で四境戦争終結、勝海舟が安芸厳島に乗込み停戦交渉

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1866

徳川慶喜が15代将軍就任

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1867

孝明天皇崩御

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1867

大倉喜八郎が大倉銃砲店開業、官軍御用達となり巨利を得る

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1867

高杉晋作が下関にて死去(享年27)、下関郊外吉田の清水山に埋葬される

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1867

徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表

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1867

大久保利通・西郷隆盛・岩倉具視の謀略により朝廷が薩長などに討幕の密勅を下す

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1867

朝廷が幕府の大政奉還を勅許

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1867

王政復古の大号令

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1867

三職の設置

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1867

小御所会議(最初の三職会議)で薩摩藩の大久保利通・西郷隆盛と朝臣の岩倉具視が徳川慶喜の辞官納地を強行採決

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1868

鳥羽伏見の戦いに官軍が圧勝~戊辰戦争始まる

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1868

明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す

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1868

井上馨が九州鎮撫総督参謀・長崎製鉄所御用掛を経て大蔵大輔就任

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1868

伊藤博文が明治政府に徴され外国事務掛、外国事務局判事、兵庫県知事などを歴任

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1868

木戸孝允の版籍奉還の献策を長州藩主毛利敬親が承諾

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1868

明治天皇が江戸城に入城~実質的な東京遷都

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1868

太政官設置

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1868

明治天皇即位礼、明治に改元

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1869

土方歳三が弁天台場の戦いで戦死(享年35)、榎本武揚の五稜郭が降伏し函館戦争・戊辰戦争終結

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1869

王政復古の賞典禄下賜、選外の伊藤博文・井上馨は木戸孝允から離心

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1869

版籍奉還

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1870

大隈重信が参議兼大蔵卿就任

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1870

松方正義が大蔵省入省

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1871

大倉喜八郎が建設業に進出(大成建設の前身)、新橋駅建設工事の一部を請け負う

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1871

陸奥宗光の紀州藩政改革により「陸奥王国」が現出

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1871

廃藩置県

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1871

岩倉使節団派遣、井上馨は留守政府の大蔵大輔に就き大蔵省を掌握

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1872

井上馨・渋沢栄一の主導で銀座煉瓦街の建設が始まる

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1872

陸奥宗光が大蔵省租税頭・地租改正局長就任(井上馨に次ぐ地位)

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1872

渋沢栄一の主導で官営工場富岡製糸場操業開始

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1872

渋沢栄一の主導で三井小野組合銀行(後の第一国立銀行)が設立され国立銀行条例制定

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1872

山城屋事件、絶体絶命の山縣有朋は西郷隆盛に救われ初代陸軍卿に就任し徴兵令準備に奔走

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1873

岩崎弥太郎が三菱商会を設立

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1873

地租改正法・地租改正条例布告

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1873

大倉喜八郎が欧米旅行から帰国、銀座に大倉組商会設立

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1873

岩倉使節団が帰国

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1873

明治六年政変

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1873

内務省設立、大久保利通が初代内務卿兼参議として独裁政権確立(大久保政府)

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1873

最初の世界恐慌、帝国主義列強による世界分割競争が始まる

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1873

江藤新平司法卿の追及により尾去沢銅山汚職が事件化、井上馨が大蔵大輔を引責辞任し実業界へ転じる

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1873

渋沢栄一が井上馨に殉じて退官し第一国立銀行総監役に就任

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1874

佐賀の乱、井上馨の宿敵江藤新平が極刑に処される

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1874

西郷隆盛の征韓論を退けた大久保利通が台湾出兵を強行、木戸孝允は参議を辞任し下野

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1874

三井組・井上馨の謀略により小野組・島田組が倒産、渋沢栄一の第一国立銀行は先手を打って優良担保を確保し連鎖倒産を免れる

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1874

小野組・島田組倒産により金融恐慌発生、井上馨が三井組救済に奔走

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1874

第一国立銀行が三井組の吸収工作をシャンド裁定で撃退、指揮した渋沢栄一が三井八郎右衛門に代わり第一国立銀行頭取就任

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1875

江華島事件

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1876

大久保利通政府が黒田清隆全権特使の艦砲外交により李氏朝鮮と日朝修好条規を締結

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1876

秩禄処分

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1876

国立銀行条例改正、国立銀行の隆盛が始まる

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1876

三井銀行および三井物産設立

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1876

安田善次郎が第三国立銀行を設立し「銀行王」への道を踏出す

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1877

西南戦争、西郷隆盛が鹿児島城山にて自害(享年51)

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1877

木戸孝允が京都にて死去(享年45)、京都霊山護国神社に葬られる

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1877

井上馨がイギリス遊学、福澤諭吉門下の中上川彦次郎を随行

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1877

三井組総帥の三野村利左衛門が井上馨に後事を託し死去

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1878

西南戦争に呼応する立志社の策動が発覚、陸奥宗光は5年の禁固刑を受け山形監獄に収容される

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1878

大久保利通が紀尾井坂で不平士族に斬殺される(享年49)

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1878

福地源一郎・渋沢栄一ら有力財界人の出願により東京株式取引所設立

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1878

会頭渋沢栄一と大倉喜八郎が発起人となり東京商法会議所(商工会議所)発足

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1879

伊藤博文の要請により井上馨が外務卿就任

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1880

長州藩の中級藩士鮎川弥八・ナカ(井上馨の姪)の嫡子に鮎川義介誕生

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1881

開拓使官有物払下げ事件

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1881

大隈重信一派が追放され薩長藩閥政府が現出(明治十四年の政変)、首班の伊藤博文は国会開設の詔で民権派と妥協

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1881

自由党結成

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1881

大隈重信が郵便報知新聞社を買収、原敬は退社

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1881

原敬が薩長閥の御用新聞『大東日報』の主筆となる

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1881

松方正義が参議兼大蔵卿に就任し松方財政が始まる

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1882

福澤諭吉・慶應義塾派が立憲改進党を結成し大隈重信を党首に担ぐ

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1882

原敬が『大東日報』辞職、井上馨の引きで外務省出仕

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1882

朝鮮で壬午事変

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1882

西郷従道・黒田清隆ら薩摩閥と井上馨が三菱潰しのため共同運輸会社を設立

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1882

松方正義主導で日本銀行開業、安田善次郎・三野村利助が創立事務御用掛を務める

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1882

集会条例改定、自由民権運動が激化

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1882

伊藤博文が立憲制視察のため渡欧

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1882

渋沢栄一主導で大阪紡績(現東洋紡)株式会社設立、紡績業の発展を牽引

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1883

原敬が中井貞子と結婚、井上馨の縁戚となる

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1883

原敬が天津領事に大抜擢され赴任

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1883

鹿鳴館完成~外務卿井上馨の条約改正交渉

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1884

伊藤博文の計いで陸奥宗光がヨーロッパ遊学

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1884

松方デフレによる不況深刻化

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1884

朝鮮で甲申事変、自由党の板垣退助・後藤象二郎や福澤諭吉が金玉均の独立党を後援

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1885

銀本位制に移行

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1885

岩崎弥太郎が共同運輸会社との死闘の最中に東京六義園にて死去(享年51)、弟の岩崎弥之助が三菱を承継

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1885

西郷従道農商務卿の和解勧告を岩崎弥之助が受入れ共同運輸会社が郵便汽船三菱会社を併合し日本郵船会社が発足

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1885

第一次伊藤博文内閣発足、井上馨が外務大臣就任(大隈重信に途中交代)

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1886

岩崎弥之助が三菱社設立

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1886

井上馨が内閣臨時建築局を設置し官庁集中計画始動(井上失脚により頓挫)

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1886

陸奥宗光が帰国、伊藤博文の引きで外務省出仕

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1886

藤岡市助・大倉喜八郎らが東京電燈(現東京電力)設立、5年後には契約者数1万4千を突破

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1886

企業勃興~起業ブームが始まる

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1887

鹿鳴館外交と条約改正に失敗した井上馨が外務大臣を辞任、伊藤博文首相が兼務ののち大隈重信へ交代

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1887

井上馨の提唱により大倉喜八郎・渋沢栄一が帝国ホテル設立

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1887

大倉喜八郎・渋沢栄一・浅野総一郎らが札幌麦酒株式会社(現サッポロビール)設立

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1888

伊藤博文が枢密院を設立し初代議長に就任

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1888

黒田清隆内閣発足、榎本武揚が農商務大臣就任

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1888

榎本武揚に代わって井上馨が農商務大臣就任、外務省を追放された原敬を農商務省参事官に迎える

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1889

大日本帝国憲法発布

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1890

第一次山縣有朋内閣発足

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1890

岩村通俊に代わって陸奥宗光が農商務大臣就任、陸奥は原敬を重用

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1890

第一回衆議院総選挙で民党が過半数を獲得

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1890

第一回帝国議会開催

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1891

第一次松方正義内閣発足

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1891

帝政ロシアがシベリア鉄道起工

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1892

第二次伊藤博文内閣発足、井上馨が内務大臣就任(野村靖に途中交代)

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1893

政府が官営富岡製糸場を三井へ払下げ

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1893

三菱社が三菱合資会社に改組、岩崎弥之助が岩崎久弥(弥太郎の嫡子)に三菱3代目を禅譲

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1894

不平等条約改正(領事裁判権・片務的最恵国待遇の撤廃)

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1894

朝鮮で甲午農民戦争、日清両軍が朝鮮へ派兵し一触即発

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1894

日清戦争勃発

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1894

井上馨に代わって野村靖が内務大臣就任

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1894

日本郵船が三菱の傘下に入る

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1895

下関条約で日清戦争終結、朝鮮(李朝)が初めて中国から独立しソウルに独立門建立

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1895

三国干渉~露仏独が日本に遼東半島返還を要求

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1895

台湾総督府設置

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1895

朝鮮で親ロシア政権誕生、閔妃殺害事件

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1896

露清密約、ロシアが清から東清鉄道敷設権を獲得

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1896

豊田佐吉が動力織機「豊田式木鉄混製力織機」を発明し繊維業界を席巻(2年後特許取得)

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1896

第二次松方正義内閣発足

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1897

松方正義首相・岩崎弥之助日銀総裁が貨幣法を制定し金本位制移行を断行

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1897

陸奥宗光死去

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1897

朝鮮が大韓帝国と改称

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1898

列強による清の植民地争奪競争が激化

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1898

第三次伊藤博文内閣発足、井上馨が大蔵大臣就任

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1898

憲政党結成~2大民党の合同

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1898

第一次大隈重信内閣(隈板内閣)発足~初の政党内閣

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1898

第二次山縣有朋内閣発足

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1898

清で康有為の戊戌の変法が挫折

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1900

北清事変

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1900

立憲政友会結成

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1900

第四次伊藤博文内閣(政友会)発足

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1901

井上馨に組閣大命が下るが渋沢栄一の入閣拒否で頓挫

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1901

第一次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足

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1901

北京議定書調印

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1901

ロシアが日本に韓国中立化構想を提案、日露協商派と対露強硬派が対立

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1902

第一次日英同盟協約締結

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1903

鮎川義介が東京帝国大学工科大学機械科卒業、大叔父井上馨の三井推薦を断り芝浦製作所(東芝)の職工となる

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1903

ロシアが満州撤兵不履行、日露協商(満韓交換論)交渉決裂

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1904

仁川沖海戦

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1904

日露戦争開戦

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1904

伊藤博文が金子堅太郎を対米工作に派遣

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1904

井上馨の依頼を受け高橋是清が日露戦費調達のため渡欧米

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1904

第一次日韓協約締結

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1904

遼陽会戦

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1905

旅順攻略

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1905

血の日曜日事件~ロシア革命が始まる

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1905

奉天会戦

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1905

孫文が東京で中国同盟会を結成

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1905

日本海海戦

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1905

第二次日英同盟協約締結

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1905

鮎川義介が技術習得のため井上馨の援助により渡米、可鍛鋳鉄工場の見習工等で修行

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1905

ポーツマス条約調印

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1905

桂太郎政府がアメリカと桂・タフト協定

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1905

日比谷焼打事件

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1905

大倉喜八郎が陸軍長州閥に追随し大陸進出を本格化させ本渓湖煤鉄公司を設立

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1905

三井の越後屋が三越呉服店へ改称しデパートメントストア宣言

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1905

久原房之助が井上馨の援助で赤沢銅山(茨城県)を買収、日立鉱山へ改称し久原鉱業所開業

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1906

第一次西園寺公望内閣(政友会)発足

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1906

第二次日韓協約締結、日本が朝鮮を保護国化し文治派の伊藤博文が初代韓国統監に就任

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1906

南満州に関東都督府設置

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1906

南満州鉄道会社(満鉄)設立・後藤新平が初代総裁就任、アメリカの干渉が始まる

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1907

北浜銀行主導で箕面有馬電気軌道(阪急電鉄)設立、岩下清周は浪人の小林一三を実質上の経営者に招聘

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1907

韓国軍隊解散、ハーグ密使事件、第三次日韓協約締結

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1907

第一次日露協約締結

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1907

井上馨が侯爵に昇叙

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1908

第二次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足

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1908

東洋拓殖会社設立

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1909

アメリカが満鉄の中立化を提唱

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1909

三井合名会社設立

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1909

伊藤博文がハルビン駅頭で朝鮮人に射殺される(享年68)

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1910

伊藤博文暗殺を機に軍部・対外硬派が韓国併合を断行、韓国統監府を朝鮮総督府に改組し軍政を敷くが民生向上により義兵運動は沈静化

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1910

鮎川義介が大叔父井上馨の援助により戸畑鋳物株式会社(日立金属の前身)設立

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1910

小平浪平が久原房之助の出資を得て日立鉱山傘下に日立製作所創業

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1911

不平等条約改正で完全平等達成(関税自主権の完全回復)

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1911

第二次西園寺公望内閣(政友会)発足

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1912

孫文ら辛亥革命が南京に中華民国を樹立し北洋軍閥・袁世凱の反旗で清朝滅亡

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1912

明治天皇が崩御し大正天皇が即位

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1912

第三次桂太郎内閣(長州・陸軍)発足

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1912

久原房之助が久原鉱業所(JXホールディングス・JX日鉱日石金属の前身)を設立し社長就任

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1913

桂太郎の立憲同志会発足、西園寺公望から寝返った加藤高明が加盟し外相就任

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1913

第一次護憲運動、大正政変

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1913

高橋是清が大臣就任のため政友会に入党

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1913

第一次山本権兵衛内閣(薩摩・海軍)発足

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1913

小林一三の箕面有馬電気軌道(阪急)が宝塚新温泉内に「宝塚唱歌隊」結成(「宝塚歌劇団」へ改称)

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1914

第二次大隈重信内閣(同志会)発足

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1914

第一次世界大戦勃発、世界的物資不足のなか日本は特需景気を満喫

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1914

大隈重信政府が日英同盟を名分にドイツに宣戦布告し南洋諸島・山東省青島を占領

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1915

大隈重信首相・加藤高明外相が袁世凱の中華民国に「対華21カ条要求」を宣告

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1915

井上馨が死去(享年79)

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Kouyuuroku

高杉晋作

偉大なボス

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伊藤博文

大親友

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吉田松陰

弟子入りせず

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木戸孝允

気難しいボス

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久坂玄瑞

過激なボス

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山縣有朋

腐れ縁

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毛利敬親

殿様

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毛利元徳

若殿様

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周布政之助

自派の上司

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品川弥二郎

同郷の志士仲間

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山田顕義

同郷の志士仲間

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前原一誠

同郷の志士仲間

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赤根武人

寝返った同志

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大村益次郎

話の分かる先輩

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山尾庸三

留学仲間

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野村弥吉

留学仲間

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遠藤謹助

留学仲間

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椋梨藤太

殺されかけた

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中井弘

恋敵

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原敬

連れ子の婿

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児玉源太郎

強硬派の後輩

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桂太郎

山縣の子分にして濃い縁戚

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塙次郎

伊藤が殺した

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グラバー

出入りの武器商人

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坂本龍馬

土佐の同志

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中岡慎太郎

土佐の同志

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岩倉具視

お公家さん

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三条実美

お公家さん

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大久保利通

伊藤のボス

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西郷隆盛

「三井の番頭」っていうな

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小松帯刀

薩摩藩の同志

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黒田清隆

袴を貸した同志

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松方正義

事実上の伊藤の手下

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山本権兵衛

バックアップ

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江藤新平

宿敵

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大隈重信

伊藤のライバル転じて傀儡首相

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板垣退助

民権のカリスマ

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星亨

抱込んだ政党政治家

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陸奥宗光

伊藤の腹心

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西園寺公望

伊藤の後継者

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高橋是清

日露戦費調達役に抜擢

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渋沢栄一

愛弟子

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鮎川義介

姉の孫でバックアップ

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久原房之助

鮎川の義弟でバックアップ

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小平浪平

久原・鮎川の部下

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三井八郎右衛門

三井仲間

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三野村利左衛門

三井仲間

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三野村利助

三井仲間

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中上川彦次郎

三井仲間

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益田孝

三井仲間

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團琢磨

三井仲間

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藤田伝三郎

バックアップ

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石坂泰三

バックアップ

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大倉喜八郎

長州系武器商人

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岩崎弥太郎

三井の敵

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岩崎弥之助

三菱2代目

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安田善次郎

安田初代

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豊田佐吉

力織機発明家

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小林一三

阪急の奇才

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アレクサンダー・フォン・シーボルト

欧化政策の秘書

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ハインリッヒ・フォン・シーボルト

欧化政策の秘書

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