
さいごう つぐみち
西郷 従道
1843年~1902年
70
点
西南戦争で兄の西郷隆盛と敵対する政府に留まり内閣制度発足から10年以上も海相に在任、「日本海軍の父」山本権兵衛を盛立てた薩摩海軍閥のドン
同じ時代の人物

基礎点
70
点
西郷従道は、兄の西郷隆盛に随って薩摩藩「精忠組」の維新運動に加わり戊辰戦争を転戦、新政府軍では山縣有朋の徴兵制を支持し兄の威光で桐野利秋ら薩摩軍人の反対を抑えたが、薩摩軍人の不満が昂じると台湾出兵を強行した。西南戦争が起ると兄と袂を別って大久保利通の政府軍に属し、西郷隆盛と共に篠原国幹・村田新八・桐野利秋ら有力軍人が戦死したため従兄弟の大山巌と共に薩摩軍閥の首領へ浮上、内閣制度発足から10年以上も海相の座を占め、元帥海軍大将・侯爵・元老に栄達した。西郷従道は黒田清隆と共に大隈重信・岩崎弥太郎を弾圧するなど薩長藩閥の守護者であり、個人的業績は乏しいが、「日本海軍の父」山本権兵衛を引立て海軍の陸軍からの分離独立と強力な組織構築を後押しした功績は大きい。

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1859
年
島津斉興の死により島津久光が藩主島津忠義の国父として薩摩藩の実権を掌握
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1862
年
大山巌・西郷従道ら寺田屋騒動の生存者が帰国謹慎処分に処される
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1863
年
薩英戦争、大山巌・西郷従道らも謹慎を解かれて従軍、西郷はスイカ売りに化けた決死隊に志願
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1867
年
島津久光が薩摩藩兵700を率いて上洛、西郷隆盛が先発し四候会議のお膳立て
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1867
年
徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表
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1867
年
朝廷が幕府の大政奉還を勅許
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1867
年
西郷隆盛と木戸孝允が山口で討幕挙兵を確認、西郷は薩摩へ
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1867
年
薩摩藩主島津忠義が藩兵3千を率いて上洛(軍司令官は西郷隆盛)、大山巌・西郷従道は将校として従軍
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1867
年
長州藩世子毛利定広が藩兵1千余を率いて上洛(薩摩藩を警戒し出兵に反対した大村益次郎は掛助役に左遷)
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1867
年
大阪城に退去した徳川慶喜が辞官納地を拒否、諸外国に徳川政権による外交継続を宣言
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1868
年
鳥羽伏見の戦いに官軍が圧勝~戊辰戦争始まる、薩軍士官の西郷従道は貫通銃創の重傷を負うが戊辰戦争を転戦
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1868
年
明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す
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1868
年
東海道軍筆頭参謀の西郷隆盛が勝海舟との会談で総攻撃を中止し江戸城無血開城、長州藩の大村益次郎や佐賀藩の江藤新平は薩摩藩の専断に反発
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1868
年
明治天皇即位礼、明治に改元
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1868
年
盛岡藩に続き庄内藩が降伏、東北戦争終結
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1869
年
兵制論争、大久保利通・薩摩士族が大村益次郎の政府直轄軍構想を廃し薩長土供出の御親兵に決定、大村益次郎は木戸孝允に慰留され兵部大輔に就任(大村は弟子の山田顕義を兵部大丞に就ける)
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1872
年
明治政府が陸軍省・海軍省を創設し御親兵を廃して近衛兵を設置
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1873
年
山縣有朋が陸軍卿就任
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1875
年
勝海舟に代わって榎本武揚が海軍卿となる
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1876
年
廃刀令布告
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1877
年
木戸孝允が京都にて死去(享年45)、京都霊山護国神社に葬られる
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1878
年
大久保利通が紀尾井坂で不平士族に斬殺される(享年49)
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1878
年
榎本武揚に代わって川村純義が海軍卿となる
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1878
年
山縣有朋に代わり西郷従道が陸軍卿就任(参議兼務)
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1880
年
陸軍卿の西郷従道が参議・農商務卿に転出し大山巌が陸軍卿就任
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1882
年
黒田清隆長官が引責辞任に追込まれ開拓使廃止(農商務卿の西郷従道が1月間長官を兼任)
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1882
年
軍人勅諭公布
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1891
年
西郷従道が内務大臣に転任し代わりに樺山資紀が海軍大臣就任
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1891
年
第一次松方正義内閣発足、西郷従道が内務大臣就任(品川弥二郎に途中交代)、樺山資紀が海軍大臣就任
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1892
年
西郷従道が枢密顧問官就任
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1895
年
西郷従道が侯爵へ昇叙
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1895
年
山本権兵衛が海軍省軍務局長就任
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1900
年
黒田清隆死去
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1902
年
元帥海軍大将・元老・侯爵の西郷従道が死去(享年59)
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1970
年
大山巌がヨーロッパ遊学、普仏戦争観戦
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西郷隆盛
兄にして薩摩藩のドン
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篠原国幹
兄の子分
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村田新八
兄の子分
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桐野利秋
兄の子分
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辺見十郎
兄の子分
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大久保利通
薩摩藩のドン
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大山巌
従兄弟にして盟友
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黒田清隆
薩摩藩の盟友
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松方正義
薩摩閥仲間
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川村純義
薩摩閥仲間
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樺山資紀
薩摩閥仲間
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川上操六
日清戦争の仕掛け人
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黒木為楨
薩摩閥仲間
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川村景明
薩摩閥仲間
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山本権兵衛
薩摩閥の偉材にして後継者
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伊藤祐亨
薩摩閥仲間
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井上良馨
薩摩閥仲間
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東郷平八郎
薩摩閥仲間
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日高壮之丞
薩摩閥仲間
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上原勇作
薩摩閥仲間
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島津久光
かつての主君
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島津忠義
かつての若様
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吉井友実
精忠組の同志
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伊地知正治
精忠組の同志
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有村俊斎
精忠組の同志
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有馬新七
寺田屋同志
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大山綱良
寺田屋の討手
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奈良原繁
寺田屋の討手
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真木和泉
扇動者
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平野国臣
扇動者
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木戸孝允
長州藩のドン
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大村益次郎
陸軍の父
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山田顕義
大村の腹心
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伊藤博文
長州藩のドン
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山縣有朋
陸軍長州閥のドン
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井上馨
長州藩の重鎮
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児玉源太郎
長州藩の偉材
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桂太郎
山縣の子分
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寺内正毅
山縣の子分
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陸奥宗光
日清戦争の仕掛け人
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加藤友三郎
海軍の逸材
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斎藤実
山本権兵衛の副官
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岩崎弥太郎
海坊主
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岩崎弥之助
三菱2代目
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