
とうじょう ひでき
東條 英機
1884年~1948年
0
点
陸軍統制派の最年長者として対米開戦時の首相に担がれ、ヒトラー並みの独裁者に仕立てられ「生きて虜囚の辱め」を受けた生真面目で陰険な暴走陸軍人
同じ時代の人物

基礎点
20
点
東條英教陸軍中将(盛岡藩出身)の嫡子で陸士(17期)・陸大を何とか優等で卒業した東條英機は、留学地のドイツで長州閥打倒を掲げる永田鉄山(陸士16期)に私淑し陸軍幕僚グループ「一夕会」「統制派」の幹部となった。「皇統派」に恨まれた東條英機は傍流を転々し予備役編入も噂されたが、永田鉄山斬殺および二・二六事件を起した皇統派が自滅すると統制派最年長ゆえに一躍陸軍首脳へ台頭、武藤章(25期)らの「中国一激論」を支持し不拡大派の石原莞爾(21期)らを失脚させて日中戦争泥沼化へ導いた。関東軍参謀長・陸軍次官を経て第二次・第三次近衛文麿内閣の陸相に就いた東條英機は、田中新一(25期)らの強硬路線に従い日独伊三国同盟・国家総動員法・南部仏印進駐へと閣議をリードしたが、対日開戦を決意したアメリカは石油禁輸を断行、甘い期待を裏切られ政権を投出した近衛文麿に代わり組閣した東條英機は苦渋の決断でアメリカに宣戦布告した。東條英機首相は戦局悪化を隠して徹底抗戦を叫び続けたが、サイパン陥落で敗戦が決定的となり、岡田啓介・米内光政・若槻禮次郞・宇垣一成ら講和派重臣が結束し粘る東條を引きずり降ろした。戦後、GHQはナチス・ドイツのヒトラーに倣い東條英機を大日本帝国の独裁者に仕立てたが、実際の東條英機は統制派最年長ゆえに陸相・首相に担がれたに過ぎず、組閣後に恐怖政治を敷き独裁的権力を振るったとはいえ、真に敗戦責任の重い戦略指導者は陸軍では永田鉄山・石原莞爾・武藤章・田中新一、政治家では近衛文麿・松岡洋右らであった。GHQの捜査を予見した東條英機は踏込まれる直前に拳銃自殺を図るも死に損ね、巣鴨プリズンに繋がれ東京裁判で死刑に処された。『戦陣訓』の作者で非戦闘員にも「生きて虜囚の辱めを受けず」と強要した(石原莞爾などは「こんなもの読む必要なし」と無視したが)東條英機大将の無様な自殺失敗と逮捕劇は、公家ながら服毒自殺を遂げた近衛文麿との好対照もあり、軍国主義者さえ失望させ帝国陸軍のイメージを失墜させた。
-20
点
陰険で執念深い東條英機は、憲兵を駆使して容赦なく反対者を粛清し徹底的な言論統制を敷いた。皇統派に憎まれ関東軍の憲兵隊司令官に左遷された東條英機は自軍の共産分子摘発に精を出し、関東軍参謀長に栄転すると憲兵を私用に使い始め「憲兵のドン」と恐れられた。関東大震災時に大杉栄一家殺害事件を起した憲兵大尉の甘粕正彦は、陸士恩師の東條英機の影響下にあり、出獄後は満州で陸軍の謀略に挺身し「夜の帝王」と恐れられた。さて、陸相・首相に上り詰めた東條英機は、身の回りの些事にも憲兵を使って目を光らせ陰険な報復を繰返した。東條英機は、宿敵の石原莞爾を予備役に追込んだ後も憲兵を貼付けて執拗に動静を探り、統制派の武藤章が対米講和へ傾くと反東條内閣の動きを憲兵情報で捉え前線のスマトラ島へ放逐、対米開戦を主導した田中新一まで反抗を理由にビルマ方面軍へ追放した。東條英機の魔手は陸軍外へも及び、東條の独裁を糾弾し内閣打倒を企てた中野正剛を憲兵隊の監禁で自殺へ追込み、東條批判をした言論人の松前重義や海軍の肩を持った毎日新聞の新名丈夫を徴兵した陰謀も明らかになっている。カタブツの東條英機は部下や身内の醜聞にも目を光らせた。あるとき、東條英機は甥の山田玉哉陸軍少佐を首相官邸に呼びつけ、いきなり「このバカ者!」と怒鳴りポカポカと殴りつけた。意味不明の山田が問い質すと「貴様は女の手を握ったろう!」と言う。東條英機の妹(次枝)宅を訪問したさい酒に酔って若い女中の手を握った一件に思い当たった山田が「アレか」と呟くと、東條は「アレとは何だ!」と激高しまた殴ったという。首相が官邸で陸軍少佐をしばきあげるという前代未聞の珍事であったが、粘着質の東條英機は山田を赦さず最前線のサイパン送りにすべく画策したという。

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1884
年
エリート陸軍人(のち中将)東條英教の嫡子(上に二男があったが既に死没)東條英機が東京市麹町区にて出生
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1905
年
東條英機が陸軍士官学校(17期)卒業
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1911
年
東條英機が陸軍大学校入試に失敗
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1912
年
東條英機が陸軍大学校入学
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1913
年
桂太郎が死去(享年65)、加藤高明が同志会総理を継ぐ
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1914
年
大隈重信政府が日英同盟を名分にドイツに宣戦布告し南洋諸島・山東省青島を占領
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1915
年
東條英機が陸軍大学校を卒業し近衛歩兵第3連隊中隊長を経て陸軍省出仕
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1919
年
寺内正毅死去
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1921
年
宮中某重大事件、山縣有朋の権威失墜
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1922
年
陸軍長州閥を築いた山縣有朋が政敵の伊藤博文・大隈重信・板垣退助や子飼の桂太郎・寺内正毅の誰よりも長寿を保ち84歳で死去
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1922
年
東條英機が帰国し陸軍大学校教官就任、永田鉄山・小畑敏四郎と共に長州系人材を排除
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1925
年
日ソ基本条約調印、国交樹立
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1926
年
東條英機が陸軍省軍務局軍事課勤務
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1926
年
大正天皇が崩御し昭和天皇が即位
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1928
年
永田鉄山の後任として東條英機が陸軍省整備局動員課長就任
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1929
年
東條英機が歩兵第1連隊長へ転出
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1932
年
斎藤実内閣が満州国を承認
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1933
年
塘沽停戦協定締結
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1935
年
石原莞爾が参謀本部作戦課長就任、陸軍中枢の指導的地位に就く
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1936
年
日本の呼称を「大日本帝国」に統一
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1937
年
武藤章が参謀本部作戦課長就任
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1937
年
田中新一が陸軍省軍務局軍事課長就任
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1937
年
日本軍が北京・天津・上海を攻略(第二次上海事変)
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1937
年
大本営設置
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1937
年
日本軍が国民政府の首都南京を占領
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1938
年
杉山元に代わり日中戦争不拡大派(石原莞爾系)の板垣征四郎が陸相就任
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1938
年
東條英機陸軍次官と多田駿参謀次長が喧嘩両成敗で更迭、東條英機は新設の陸軍航空総監に転出
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1939
年
ドイツ軍がポーランド侵攻、英仏が独に宣戦布告し第二次世界大戦勃発
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1940
年
イタリアが英仏に宣戦布告
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1941
年
東條英機陸相が石原莞爾を予備役に追込む
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1942
年
日本軍が香港・マニラ・シンガポールを攻略
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1943
年
東條英機内閣が明治神宮外苑で出陣学徒壮行会を挙行
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1943
年
ムッソリーニのイタリアが早々に連合国に降伏
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1943
年
商工省が軍需省へ改組され東條英機首相が軍需相兼任、岸信介商工相は国務大臣兼軍需次官に降格
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1944
年
トラック島の海軍拠点が陥落、首相兼陸相の東條英機が杉山元から参謀総長職を奪い嶋田繁太郎海相も軍令部総長を兼務
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1944
年
連合軍がノルマンディー上陸
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1945
年
ドイツが連合国に降伏
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1945
年
玉音放送
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永田鉄山
中堅幕僚グループの首領
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岡村寧次
永田の盟友
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小畑敏四郎
永田のライバル
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石原莞爾
優秀な後輩
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板垣征四郎
石原派
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武藤章
統制派のリーダー
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田中新一
統制派のリーダー
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土肥原賢二
統制派仲間
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鈴木貞一
子分
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木村兵太郎
子分
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佐藤賢了
子分
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甘粕正彦
子分
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阿部信行
子分
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田中隆吉
裏切り者
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真崎甚三郎
皇道派の重鎮
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荒木貞夫
皇道派の重鎮
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林銑十郎
永田のロボット
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河本大作
陸軍仲間
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牟田口廉也
陸軍仲間
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山下奉文
陸軍仲間
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松井石根
陸軍仲間
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辻政信
陸軍仲間
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梅津美治郎
陸軍仲間
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杉山元
陸軍仲間
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阿南惟幾
陸軍仲間
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相沢三郎
ボスの敵
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上原勇作
反長州閥のドン
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山縣有朋
長州軍閥のドン
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宇垣一成
長州系の重鎮
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白川義則
長州系の重鎮
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田中義一
長州系の重鎮
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寺内正毅
長州系の重鎮
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寺内寿一
長州閥のぼっちゃん
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小磯國昭
陸軍仲間
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南次郎
陸軍仲間
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畑俊六
陸軍仲間
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鮎川義介
満州仲間
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西園寺公望
キングメーカー
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近衛文麿
亡国仲間
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松岡洋右
亡国仲間
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木戸幸一
亡国仲間
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広田弘毅
亡国仲間
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松岡洋右
亡国仲間
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東郷茂徳
文官の政敵
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若槻禮次郞
文官の政敵
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岡田啓介
海軍の政敵
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米内光政
海軍の政敵
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山本五十六
海軍の政敵
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井上成美
海軍の政敵
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鈴木貫太郎
海軍の政敵
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伏見宮博恭王
亡国仲間
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豊田副武
海軍の同志
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末次信正
海軍の同志
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岡敬純
海軍の同志
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平沼騏一郎
変なおっさん
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星野直樹
抗戦仲間
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幣原喜重郎
軟弱外交
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重光葵
軟弱外交の閣僚
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岸信介
倒閣のトリガー
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中野正剛
死に追いやった政敵
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新名丈夫
粛清した政敵
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松前重義
粛清した政敵
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マッカーサー
宿敵
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