
おおくぼ としみち
大久保 利通
1830年~1878年
130
点
島津久光を篭絡して薩摩藩を動かし岩倉具視と結んで明治維新を達成、盟友の西郷隆盛も切捨てる非情さで内治優先・殖産興業・富国強兵の路線を敷き近代国家の礎を築いた日本史上最高の政治家
同じ時代の人物

基礎点
120
点
大久保利通は、強靭な意志力でシナリオを描き粘り強くキーマンを動かして明治維新を成遂げた「維新の三傑」、声望は西郷隆盛に及ばないが功績と手腕は最高である。鹿児島城下の加治屋町で3歳年長の西郷隆盛と共に育ち尊攘派グループ「精忠組」を結成、デビューは島津斉彬の懐刀として活躍した西郷に遅れたが斉彬没後は主役となった。斉彬の突然死に西郷ら同志が希望を失うなか、大久保利通は、次代を担う島津久光に目を付け趣味の囲碁を自らも習得して接近を図り、島津斉興の死で久光が実権を握ると側近に抜擢され、自ら推挙した門閥閣僚の小松帯刀と共に薩摩藩を尊攘藩に改造した。大久保利通は、我が強く統制好きな久光の下で苦労しながら公武合体運動を推進め、突出脱藩を主張する有馬新七ら精忠組急進派を命懸けの説得で抑えて挙藩一致体制を堅持、久光を説伏せて西郷隆盛の赦免を勝取り薩摩藩同志の抑え役兼他藩への周旋役に据えた。島津久光は文久のクーデターで幕府政治を改革し参預会議により宿願の公武合体を成就したが、八月十八日政変・禁門の変で長州藩を追放した徳川慶喜は専横を強め、尊攘派に恨まれた久光は憤慨して政局を放棄、藩政を託された大久保利通と西郷隆盛は長州征討に固執する幕府を見限り薩長同盟を結んで討幕路線へ転換、岩倉具視と連携して朝廷を確保し一気に王政復古、戊辰戦争、明治政府樹立を達成した。新政府での大久保利通は、ラジカルな木戸孝允と士族に同情する西郷隆盛の意見調整に腐心しつつ、欧米視察を通じて殖産興業・富国強兵の必要性を確信、明治六年政変で岩倉と共謀して西郷の征韓論を覆し反抗勢力を一掃して初代内務卿兼参議に就き独裁政権を樹立した(大久保政府)。ドライな大久保利通は、台湾出兵で薩摩士族のガス抜きを図りつつも秩禄処分を断行、全ての特権を奪われた不平士族の反乱が相次いだが断固たる姿勢で各個撃破し西南戦争で西郷と薩摩志士を処断、史上空前の内乱の渦中で不敵にも第一回内国勧業博覧会を開催したが、翌年不平士族に襲撃され落命した(紀尾井坂の変)。大久保利通の内治優先・殖産興業路線は弟子の伊藤博文と大隈重信へ引継がれた。
20
点
大久保利通は、位人臣を極めたが金銭に潔癖で没後は借金しか遺さなかった。大久保が登庁すると職員が静まり返るほどの威厳があったが、公正無私な人柄で薩摩閥に固執せず伊藤博文や大隈重信らを引立てて政治的後継者を育成し、官僚機構の基礎を創った。
-10
点
明治政府は財政上も治安維持上も士族特権を縮小せざるを得ず、大黒柱の大久保利通の存命中に廃刀令・秩禄処分を断行し不平士族反乱を断固鎮圧して膿を出切ったことは幸運であったが、西南戦争で有為の薩摩志士を多く喪ったことは国家的大損失であり、臨機に妥協もてきた大久保利通の政治手腕をもってすれば最悪の事態は回避できたと思われる。

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1842
年
異国船打払令を緩和し薪水給付令施行
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1844
年
大久保利通が元服
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1846
年
フランスが琉球の開国を要求
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1846
年
大久保利通が出仕し記録所書役助に就く
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1850
年
井伊直亮が死去し弟の井伊直弼が15代彦根藩主に就任、藩政改革に着手し譜代筆頭として幕政に乗出す
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1851
年
島津斉彬が老中阿部正弘を後ろ盾に父の島津斉興を引退させ11代薩摩藩主に就任、富国強兵・殖産興業を掲げ集成館事業など藩政改革に着手
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1851
年
大久保利通が謹慎を解かれる
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1852
年
同志の有村俊斎・大山正円・樺山三円が江戸出府
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1853
年
徳川家定が13代将軍就任、将軍継嗣問題が勃発
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1853
年
大久保利通が記録所に復職し御蔵役に就く
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1857
年
薩摩藩主島津斉彬が下級藩士の西郷隆盛・大久保利通を徒目付に登用
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1857
年
大久保利通がますと結婚
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1859
年
神奈川・長崎・函館開港
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1859
年
安政の大獄で大老井伊直弼が一橋派諸侯の処分を断行、徳川斉昭・慶喜は蟄居に処される
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1859
年
島津斉興の死により島津久光が藩主島津忠義の国父として薩摩藩の実権を掌握
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1860
年
島津久光が大久保利通を引見し勘定方小頭格に抜擢
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1860
年
ロシア軍艦が対馬に侵攻するがイギリスの圧力で退去
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1862
年
大久保利通が御小納戸頭取に昇進し名実共に島津久光の側近となる
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1863
年
松平春嶽が徳川慶喜の専横に怒り政治総裁職を辞任し福井に帰国
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1863
年
大久保利通が御側役兼御小納戸頭取に就任
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1865
年
薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通・吉井友実らが九州諸藩連合のため久留米藩・福岡藩などを遊説
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1865
年
薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通らが上京し宮廷工作で幕府の長州再征を妨害
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1866
年
薩摩藩が幕府からの再三の出兵要請を拒否し朝廷に長州再征反対を建白
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1866
年
将軍徳川家茂が大阪城で急死し徳川慶喜が徳川宗家の家督を相続、自身の長州大討入りを宣言するが小倉城陥落を知り断念
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1866
年
徳川慶喜が15代将軍就任
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1866
年
孝明天皇崩御
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1867
年
孝明天皇崩御に伴う大赦で長州系の三条実美ら五卿のほか九条尚忠・岩倉具視ら公卿が赦免される
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1867
年
高杉晋作が下関にて死去(享年27)、下関郊外吉田の清水山に埋葬される
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1867
年
島津久光が薩摩藩兵700を率いて上洛、西郷隆盛が先発し四候会議のお膳立て
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1867
年
薩摩藩・西郷隆盛が土佐藩・後藤象二郎からの出兵延期要請を拒否
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1867
年
徳川慶喜が二条城で大政奉還を発表
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1867
年
朝廷が幕府の大政奉還を勅許
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1867
年
西郷隆盛と木戸孝允が山口で討幕挙兵を確認、西郷は薩摩へ
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1867
年
藩主薩摩藩主島津忠義が藩兵3千を率いて上洛(軍司令官は西郷隆盛)
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1867
年
長州藩世子毛利定広が藩兵1千余を率いて上洛(薩摩藩を警戒し出兵に反対した大村益次郎は掛助役に左遷)
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1867
年
長州藩が朝廷により公式に赦免され藩主毛利敬親は従四位・参議に復帰
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1867
年
大阪城に退去した徳川慶喜が辞官納地を拒否、諸外国に徳川政権による外交継続を宣言
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1868
年
鳥羽伏見の戦いに官軍が圧勝~戊辰戦争始まる
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1868
年
大久保利通が大阪遷都建白書を提出
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1868
年
明治天皇が徳川慶喜追討の親征を宣言、薩摩(西郷隆盛)・長州・佐土原・大村の東海道軍と薩長・土佐(板垣退助)など諸藩混成の東山道軍が江戸へ進発、徳川慶喜は小栗忠順ら主戦派を退け恭順派の勝海舟に全権を託す
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1868
年
西郷隆盛が東征大総督府下参謀(実質的司令官)に任命される
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1868
年
西郷隆盛が独断で先鋒軍を率いて先発し箱根を占拠
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1868
年
東海道軍筆頭参謀の西郷隆盛が勝海舟との会談で総攻撃を中止し江戸城無血開城、長州藩の大村益次郎や佐賀藩の江藤新平は薩摩藩の専断に反発
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1868
年
明治政府が徳川宗家16代当主の徳川家達に駿府70万石を与える・徳川慶喜も駿府へ移され駿河宝台院で謹慎
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1868
年
明治天皇即位礼、明治に改元
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1868
年
盛岡藩に続き庄内藩が降伏、東北戦争終結
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1869
年
兵制論争、大久保利通・薩摩士族が大村益次郎の政府直轄軍構想を廃し薩長土供出の御親兵に決定、大村益次郎は木戸孝允に慰留され兵部大輔に就任(大村は弟子の山田顕義を兵部大丞に就ける)
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1870
年
小松帯刀が死去
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1873
年
岩倉使節団が帰国
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1873
年
大久保利通が参議に復帰
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1873
年
江藤新平司法卿の追及により尾去沢銅山汚職が事件化、井上馨が大蔵大輔を引責辞任し実業界へ転じる
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1874
年
岩崎弥太郎の三菱が台湾出兵の海上輸送を一手に引受け、大久保利通に感謝され飛躍への画期となる
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1874
年
大久保利通が自ら北京の清国政府へ乗込み台湾出兵問題を解決
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1875
年
黒田清隆開拓使長官の主導により榎本武揚駐露特命全権公使が樺太・千島交換条約を締結
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1876
年
廃刀令布告
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1876
年
岩倉具視が華族会館館長に就き旧公家偏重の優遇政策を推進、旧大名・士族の反発を招く
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1876
年
三井銀行および三井物産設立
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1877
年
木戸孝允が京都にて死去(享年45)、京都霊山護国神社に葬られる
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1878
年
大久保利通が紀尾井坂で不平士族に斬殺される(享年49)
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1884
年
大久保利通の功により嫡子の大久保利和が侯爵を受爵
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1901
年
大久保利通に追贈従一位
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牧野伸顕
次男
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島津斉彬
偉大な主君
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島津久光
斉彬庶弟・良き主君
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島津忠義
薩摩藩主を継いだ久光長子
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黒田長溥
斉彬の大叔父で後援者
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西郷隆盛
竹馬の友にして盟友
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小松帯刀
良き上司
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喜入摂津
大久保派
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中山尚之助
大久保派
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吉井友実
精忠組同志
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伊地知正治
精忠組同志
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有村俊斎
精忠組同志
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大山正円
精忠組同志
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樺山三円
精忠組同志
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篠原国幹
西郷子分
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桐野利秋
西郷子分
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村田新八
西郷子分
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田中新兵衛
西郷子分
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有馬新七
精忠組の跳返り
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西郷従道
生延びた西郷弟
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大山巌
西郷従兄弟
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月照
西郷が無理心中で死なせた同志
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平野国臣
困った扇動者
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坂本龍馬
薩摩系土佐浪士
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岩倉具視
大久保盟友の薩摩系公卿
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三条実美
長州系公卿
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毛利敬親
長州藩主
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木戸孝允
薩長同盟のパートナー
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高杉晋作
薩長同盟のパートナー
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久坂玄瑞
長州尊攘派首領
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大村益次郎
薩摩嫌いの長州軍首脳
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周布政之助
長州執政
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山縣有朋
西郷が何故か救った長州軍首脳
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伊藤博文
大久保舎弟
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井上馨
伊藤親友・三井の番頭さん
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中岡慎太郎
長州系土佐浪士
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安倍正弘
斉彬盟友
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徳川斉昭
一橋派首領
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徳川慶喜
斉昭実子で最後の将軍
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藤田東湖
斉昭謀臣
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松平春嶽
四賢候
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橋本左内
春嶽謀臣
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梅田雲浜
貧乏同志
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山内容堂
因循な四賢候
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吉田東洋
容堂謀臣
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武市半平太
土佐勤皇党首領
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伊達宗城
四賢候
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鍋島直正
佐賀藩主・斉彬の従兄弟でライバル
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松平容保
慶喜腹心の京都守護職
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松平定敬
容保実弟の京都所司代
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井伊直弼
斉彬宿敵
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勝海舟
薩長和解を勧めた幕臣
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大久保一翁
勝の同志
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板垣退助
征韓派
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後藤象二郎
征韓派
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江藤新平
征韓派
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副島種臣
征韓派
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大隈重信
西郷嫌いの大久保舎弟
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