56 konoefumimaro

このえ ふみまろ

近衛 文麿

1891年~1945年

-20

陸軍以上の強硬論で日中戦争を泥沼化へ導き、日独伊三国同盟・国家総動員法・南部仏印進駐・対米開戦を決定した亡国の主人公

同じ時代の人物

Sunhyou

基礎点

-20

日本一の名門近衛家の当主で頭脳明晰・容姿端麗な近衛文麿は、反米英・現状打破の論客として国民的人気を博し、軍部・右翼・政財界・大衆すべての期待を担い憲政史上の最重要局面で3度組閣、通算1035日の首相在任中に自らの中国蔑視・反米英思想に基づき日本の行方を決定した。近衛文麿は、血盟団事件の井上日召や五・一五事件の三上卓らテロ犯をブレーンに招くほどの過激思想家であり、決して「軍部のロボット」ではなかった。特に大日本帝国滅亡の元凶となった日中戦争泥沼化における責任は重大で、近衛文麿首相・広田弘毅外相コンビは、盧溝橋事件が起ると直ちに増派を決定し石原莞爾の不拡大方針を拒絶、「中国一激論」の首謀者である武藤章さえ停戦講和へ傾くなかトラウトマン工作を蹴って「国民政府を対手とせず」と宣言し(第一次近衛声明)日本を引くに引けない状況へ追込んだ。さらに、悪乗りした近衛文麿首相は持論の脱欧米秩序方針を「東亜新秩序声明」で公言(第二次近衛声明)、米英を激しく挑発し著しい関係悪化を招いた。再度組閣した近衛文麿は、同志の松岡洋右を外相に据えナチス・ドイツとの同盟を断行し(日独伊三国同盟)、自らの社会主義思想に則り国家総動員法・生活物資の配給制・大政翼賛会等を発動したが、楽観的見通しに反して米英が禁輸に出ると思考停止に陥り、軍部に引きずられ南部仏印進駐を承認、最悪の石油全面禁輸を招くと政権を投出した。近衛文麿は土壇場で政権を放り出したが既に全面撤退以外の和解策は無く、後継首相の東條英機は陸軍統制派ゆえに妥協を呑めるはずもなく対米開戦へ追込まれた。第二次大戦後、近衛文麿はGHQのマッカーサーに阿り憲法改定に生存を賭けるも挫折、東京裁判で裁かれる屈辱より服毒自殺を選択した。

Shijitsu

1891

五摂家筆頭当主で公爵の近衛篤麿の嫡子近衛文麿が東京市麹町区にて出生

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1904

近衛篤麿の死により嫡子の近衛文麿が公爵近衛家の当主となる

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1904

日露戦争開戦

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1905

ポーツマス条約調印

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1910

近衛文麿が第一高等学校から東京帝国大学哲学科・京都帝国大学法科大学に進学(年次不詳)

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1910

伊藤博文暗殺を機に軍部・対外硬派が韓国併合を断行、韓国統監府を朝鮮総督府に改組し軍政を敷くが民生向上により義兵運動は沈静化

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1914

第一次世界大戦勃発、世界的物資不足のなか日本は特需景気を満喫

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1914

大隈重信政府が日英同盟を名分にドイツに宣戦布告し南洋諸島・山東省青島を占領

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1915

大隈重信首相・加藤高明外相が袁世凱の中華民国に「対華21カ条要求」を宣告

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1916

公爵近衛文麿が貴族院議員となる

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1918

第一次世界大戦終結

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1918

近衛文麿が雑誌『日本及び日本人』に論文「英米本位の平和主義を排す」を寄稿

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1919

パリ講和会議・ベルサイユ条約で第一次世界大戦の講和成立(日本全権は西園寺公望・牧野伸顕)、随員の近衛文麿と松岡洋右が昵懇となる

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1920

国際連盟が発足し日本は英仏伊と共に常任理事国に列す

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1920

西園寺公望が公爵に昇叙

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1923

関東大震災

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1926

大正天皇が崩御し昭和天皇が即位

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1927

近衛文麿が貴族院内「研究会」を離脱し「火曜会」を結成

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1928

張作霖爆殺事件(満州某重大事件)、陸軍中堅幕僚の暴走が始まる

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1928

張学良が奉天軍閥を承継、関東軍と対立し「満州問題」が深刻化

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1929

永田鉄山の二葉会に木曜会が合流し「一夕会」が発足

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1929

軍部や松岡洋右満鉄副総裁の扇動で「満蒙生命線論」が興隆

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1929

世界恐慌始まる、軍需主導で日本経済は1934年に回復

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1929

農産物価格が暴落し農家が大打撃を受ける

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1930

幣原喜重郎外相と海軍条約派がロンドン海軍軍縮条約調印を断行

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1931

関東軍参謀の石原莞爾・板垣征四郎らが柳条湖事件を起し満州事変勃発

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1931

朝鮮駐留軍の林銑十郎司令官が独断で越境増援、若槻禮次郞内閣が追認

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1931

軍事費の急増が始まる

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1931

新聞各紙の満州事変礼賛報道で好戦ムードが蔓延

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1931

近衛文麿が満州事変を正当とする主張を発表し軍部と右翼から歓迎される

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1931

若槻禮次郞内閣が満州国建国方針を決定

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1931

外相退任の幣原喜重郎が隠退し対英米協調・対中不干渉の「幣原外交」が終焉

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1932

軍拡反米英派(艦隊派)首領の伏見宮博恭王が海軍軍令部長(総長へ改称)就任(~1941)

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1932

血盟団事件

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1932

満州国建国

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1932

上海天長節爆弾事件

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1932

五・一五事件~海軍将校が武装蜂起し犬養毅首相を殺害(享年77)政党内閣が終焉

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1933

松岡洋右首席全権が国際連盟総会で脱退劇を演じ斎藤実政府は満州撤退勧告を拒否

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1933

永田鉄山・統制派と小畑敏四郎・皇道派の対立が始まる

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1933

近衛文麿が貴族院議長就任、院内革新勢力の指導的地位に立つ

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1933

重光葵が外務次官就任

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1934

林銑十郎が陸相に就任し永田鉄山ら統制派が陸軍中央を掌握

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1934

近衛文麿が訪米しフランクリン・ルーズベルト大統領とコーデル・ハル国務長官と会見

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1934

岡田啓介内閣(海軍)発足

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1934

日本経済が世界恐慌前の水準に回復、軍需主導で更なる高度成長が続く

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1935

天皇機関説問題、国体明徴運動

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1935

陸軍統制派の首領永田鉄山が殺害される(相沢事件)

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1936

二・二六事件、参謀本部作戦課長の石原莞爾が戒厳司令部参謀を兼務し反乱将校の断罪と皇統派の粛清を主導

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1936

広田弘毅内閣(外務官僚)発足~軍国主義化が一気に加速、西園寺公望からの組閣要請を拒否

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1936

日独防共協定調印

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1936

広田弘毅内閣が「北守南進政策」を決定

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1936

ワシントン・ロンドン海軍軍縮条約廃棄

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1937

林銑十郎内閣(陸軍)発足

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1937

第一次近衛文麿内閣(公家・外相広田弘毅)発足~亡国の貴公子登場

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1937

盧溝橋事件で日中戦争が始まる

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1937

日中戦争不拡大を説く石原莞爾が失脚し華北分離を主張する武藤章・田中新一ら統制派が陸軍中央を掌握

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1937

近衛文麿内閣の増派決定で日中戦争拡大

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1937

日本軍が北京・天津・上海を攻略(第二次上海事変)

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1937

石原莞爾の停戦案を近衛文麿首相と陸軍統制派が拒否

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1937

第二次国共合作成立

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1937

近衛文麿内閣が統制経済推進のため企画院を開設

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1937

大本営設置

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1937

日本軍が国民政府の首都南京を占領

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1938

日本軍が武漢三鎮を占領するが蒋介石の国民政府は重慶へ退避

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1938

近衛文麿首相がトラウトマンの日中戦争和解案を拒絶

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1938

近衛文麿首相が「国民政府を対手とせず」と発表(第一次近衛声明)

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1938

国家総動員法公布~軍国主義化の決定打

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1938

近衛文麿首相が「東亜新秩序声明」~欧米を激しく挑発

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1939

平沼騏一郎内閣(右翼・司法官僚)発足

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1939

ナチス・ドイツから日独伊三国同盟の提案を受ける

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1939

国民精神総動員委員会が発足

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1939

米穀配給統制法公布、生活物資の配給制が始まる

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1939

ノモンハン事件勃発

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1939

天津事件、アメリカが日米通商航海条約破棄を通告

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1939

独ソ不可侵条約調印

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1939

阿部信行内閣(陸軍)発足

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1939

ドイツ軍がポーランド侵攻、英仏が独に宣戦布告し第二次世界大戦勃発

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1940

米内光政内閣(海軍)発足

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1940

日本が汪兆銘を擁立して南京に中華民国政府を樹立

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1940

日本軍による重慶爆撃

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1940

第二次近衛文麿内閣(公家)発足(松岡洋右外相・東條英機陸相)

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1940

アメリカが対日屑鉄輸出を全面禁止、ABCD包囲網による経済封鎖が本格化

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1940

「バトル・オブ・ブリテン」でイギリスがナチス・ドイツの本土上陸作戦を阻止

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1940

近衛文麿内閣が日独伊三国同盟を決定し英米が正面敵となる

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1940

日本軍が北部仏領インドシナへ進駐し南進政策始動

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1940

近衛文麿首相が大政翼賛会を結成し総裁就任

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1940

紀元二千六百年記念式典

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1940

海軍の出師準備発令

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1940

最後の元老西園寺公望死去

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1940

岡敬純・石川信吾ら対米強硬派が海軍を完全掌握し海軍国防政策委員会を設置

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1941

南部仏領インドシナ進駐開始

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1941

アメリカが在米日本資産を凍結し英蘭らも追随

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1941

アメリカが対日石油輸出全面禁止

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1941

ゾルゲ事件

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1941

御前会議で「帝国国策遂行要領」を定め対米開戦決意

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1941

東條英機内閣(陸軍)発足

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1941

アメリカの最後通牒(ハル・ノート)で日米交渉が決裂し御前会議で対米開戦決定

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1941

ナチス・ドイツ軍がモスクワ攻略に失敗し後退が始まる

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1941

日本海軍の真珠湾攻撃・陸軍のマレー侵攻で太平洋戦争勃発

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1941

松岡洋右外相がナチス・ドイツのヒトラーを表敬訪問、シンガポール攻撃を吹込まれる

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1941

松岡洋右外相がスターリンを訪問し電撃的に日ソ中立条約調印

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1941

野村吉三郎駐米大使の日米和解交渉が松岡洋右外相の妨害により停止

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1941

独ソ戦開戦

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1941

第三次近衛文麿内閣(公家)発足、松岡洋右外相を放逐

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1941

関東軍特種演習~対ソ連開戦に備えた関東軍増強

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1942

日本軍が香港・マニラ・シンガポールを攻略

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1942

日本軍がインドネシア全域を占領し石油供給源を獲得(シーレーン断絶で宝の持ち腐れとなる)

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1942

ミッドウェー海戦で日本海軍大敗

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1943

スターリングラード攻防戦でソ連軍がドイツ軍を撃退

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1943

日本軍がソロモン沖海戦で敗北しガダルカナル島撤退

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1943

ムッソリーニのイタリアが早々に連合国に降伏

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1943

東條英機首相・重光葵外相が東京で大東亜会議を開催

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1943

米英中が「カイロ宣言」発表

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1944

東條英機の意を受けた牟田口廉也が無用無謀のインパール作戦を強行

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1944

マリアナ沖海戦敗北・サイパン島陥落で日本の敗戦が決定的となる

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1944

伏見宮博恭王の示唆により軍令部で特攻作戦の計画が具体化

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1944

小磯國昭内閣(陸軍)発足

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1944

小磯國昭内閣が徴兵年齢を拡大し「根こそぎ動員」

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1944

レイテ沖海戦で日本海軍が壊滅し南方補給路が断絶(伏見宮博恭王元帥の示唆で「特攻作戦」始動)

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1945

米英ソがヤルタ会談(ソ連の対日参戦を秘密合意)

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1945

陸海軍統帥部が「本土決戦完遂基本要綱」を決定

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1945

東京大空襲はじめ米軍の空爆で全国主要都市が焼け野原と化す

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1945

硫黄島陥落で日本軍は本土制空権も完全喪失

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1945

沖縄戦が始まる

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1945

ソ連が日ソ中立条約廃棄を通告

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1945

吉田茂が近衛上奏文事件で憲兵隊に2ヶ月間拘置され反軍部の「勲章」獲得

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1945

鈴木貫太郎内閣(海軍)発足

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1945

ドイツが連合国に降伏

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1945

鈴木貫太郎政府がソ連を仲介とする日米和解工作に動く

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1945

連合国がポツダム宣言発表

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1945

トルーマン米大統領が広島に原子爆弾投下

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1945

ソ連が日ソ中立条約を破り満州・樺太・朝鮮へ侵攻

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1945

トルーマン米大統領が長崎に原子爆弾投下

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1945

日本がポツダム宣言に基づく降伏を通告

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1945

玉音放送

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1945

マッカーサー連合軍最高司令官が着任し連合軍進駐開始

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1945

日本代表の重光葵外相が降伏文書に調印し第二次世界大戦終結、ソ連は満州侵略を止めず北朝鮮まで制圧

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1945

GHQが東條英機を逮捕し戦犯狩り始動

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1945

連合軍総司令部(GHQ)による間接統治開始(~1952)

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1945

近衛文麿国務相がマッカーサーと会談、生存を賭けて憲法改定起草に乗出す

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1945

幣原喜重郎内閣(外務官僚・従米路線)発足

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1945

近衛文麿が服毒自殺(享年54)

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Kouyuuroku

西園寺公望

公家の先輩

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牧野伸顕

華族の先輩

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一木喜徳郎

華族の先輩

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清浦奎吾

攻撃目標

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木戸幸一

盟友

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徳川家達

盟友

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山本有三

学友

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広田弘毅

亡国トリオ

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松岡洋右

亡国トリオ

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吉田茂

大陸派仲間

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大島浩

反米英の取り巻き

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白鳥敏夫

反米英の取り巻き

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徳富蘇峰

反米英の取り巻き

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中野正剛

反米英の取り巻き

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末次信正

反米英の取り巻き

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久原房之助

反米英の取り巻き

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幣原喜重郎

軟弱外交

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重光葵

軟弱外交

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新渡戸稲造

先生

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河上肇

先生

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西田幾多郎

先生

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尾崎秀美

ブレーンにしてゾルゲ事件首謀者

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井上日召

ブレーンにして血盟団事件首謀者

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石原莞爾

言う通りにしておけば

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杉山元

愚か者

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東條英機

大馬鹿者

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武藤章

陸軍の黒幕

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田中新一

陸軍の黒幕

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米内光政

言う通りにしておけば

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野村吉三郎

言う通りにしておけば

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永野修身

愚か者

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岡田啓介

尻拭い役

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鈴木貫太郎

尻拭い役

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蒋介石

舐めて大失敗

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マッカーサー

おそろしや

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